小室哲哉さんが不思議な体験を明かしてくれた


先週の「オーラの泉スペシャル」のゲストは、
小室哲哉さんでした。


・スピリチュアルチェック

 小さい頃なりたかった職業はなんですか :
 ミュージシャン

 好きな言葉を教えてください :
 「いとしさとせつなさと心づよさと」

 何か苦手なものはありますか :
 魚介類

 人生で一番つらかったことはなんですか :
 家族ができてからいろいろなうわさ、
自分ひとりとは違うと感じました

 この世でなくなると困るものはなんですか :
 奥さん

 


・江原さん美輪さんを音楽で分析

国分 :ここに小室さんが来るとは思わなかったですけれど。

ちょうど年末に歌番組で「僕、出たいんです」ということを言われたんですよ。
もうそんなもんぜひ、お願いしますというお話しをしたんですけれど。
これも、夢が叶ったというか。

小室 :そうですね。
深夜の時からいつの間にか見ていて。

美輪さんの声がすごいじゃないですか、
単音じゃないっていうか、
8個か10個の声が聞こえてるんですけれど。

美輪 :それはすごい感覚をもっているからでしょう。

小室 :しかもマイナーコードじゃなくて、
メジャーコードで、だから心地よいですね。

江原さんもそうですね。
テンポあるじゃないですか。

美輪 :江戸っ子のテンポなんですよ。

小室 :ブレスとかタイミングとか綺麗にすごくリズミカルですけれど。

国分 :名前が挙がらないですけど。

小室 :もうちょっと大人になったらいいですね。



人間の声や楽器には、
音の高さを決める基音のほかに、
倍音という高い周波数の音が含まれています。

たとえば、同じ“ド”の音でも楽器によって違う音に聞こえるのは、
含まれる倍音の違いが音色の違いとして聞こえるからです。



人並みはずれた耳のよさと、音へのこだわりそれは、
小室さんのたましいを紐解くキーワードなのです

そもそも、現在の奥さんのKEIKOさんを
globeのボーカルに起用したのもはりつめた高音の美しさからでした

そして、単に聴覚がするどいだけではなかったのです



小室 :イギリスにいて、寝てて、すごいスピードでホテルの階段を、
パッと気がついたら大阪にいたんですよ。

十三(じゅうそう)ってあります。
僕は知らなかったんですけれど、その辺にいたんです。

それでまた、バッと帰ってきたりとか、ロンドンで寝てたんですけれど。

美輪 :大阪の十三に飛んでたんですね。

小室 :高速道路の上にいたんですよ。
あぶなかったですけれど。

美輪 :瞬間移動でね。

小室 :みたいなことですね。


さらに、奥さんのkco(ケイコ)さんと出会ってから不思議なことが


小室 :家のkcoの関係の家族ですけれど、
僕も知らない、kcoも知らない、他界されてて。

こんな格好して、こんな人っていうのがいて、
唯一昔の人が知ってるので確認してもらったら、
藤色のカーディガン着てるとか。

美輪 :奥さんの周りの人のことが見えたわけですね。

小室 :はい。
ときどき、いる感じがして。

一応、そのときの格好を言ってみた。

国分 :もう、江原さんじゃないですか。

小室 :わからないですから、まったく。

江原 :あの、いるときに追及すれば私と一緒ということなんです。
追求なさってなかったんです、
それでなにが言いたいんですか、あなたはってもっと追及していけば、
こういう名前の人でこうだったとか、
そこまでね、理由とか。

国分 :それは、小室さんがしなかったわけで、
それを心の中で言ったら伝えてくれるわけですか。

美輪 :そうそう。

国分 :ちなみに、会話はしたことがあるんですか。

小室 :ないですね。

美輪 :なさればいいのよ。
でも、江原さんもそうだけれど、小室さんもね、
童心というか子供のまんまみたいな方だから、
そういう方がそうなりやすい。

邪心がないから。


類まれな鋭敏な感覚で次々にヒット曲を出していった小室さん

しかし、その裏には大きな苦労が



1958年 東京生まれ

3歳からバイオリンを習い始めた小室さんに衝撃的な出会いがありました

1970年 万博の会場で聞いた
冨田勲のシンセサイザーミュージック

小室さんの音楽の方向性を決める運命の出会いでした。

家にあったエレクトーンを親に内緒で友人に売り、
そのお金で、シンセサイザーを買い家でこっそり練習をした小室さん

プロのミュージシャンになるため、
早稲田大学を中退

1984年 25歳でTM NETWORKとしてデビューを果たしましたが、
売れない日々が続きました




国分 :まず、3歳からバイオリンを。

小室 :そうですね。
親が反対して、すぐやめて。

僕の家では音楽はダメだって父親が反対して、
何で、音楽は絶対ダメ。

美輪 :聞くのは。

小室 :聞くのはぎりぎりですかね。
一緒に住んでた時代もありましたけれど、
10年近くはしゃべらなかったですね。

ちょっと芽が出てきたぐらいで、話せるようになった。

国分 :鍵盤との出会いというのは、
いつごろになるんですか。

小室 :万博の冨田勲さんのシンセサイザーの音はなんだっていう、
それで、家のものを売ったりして一台買ったんです。
そのときで、ピアノとかはないです。

国分 :では、お父さんは反対なわけですよね、
音楽は。

小室 :だから、部屋でヘッドホンで。

美輪 :音がもれないよに。

小室 :ええ。

まあ、だから、ちゃんとやりだしたのはプロになってからです。

美輪 :じゃあ、ほとんど独学。

小室 :そうですね、
ピアノの譜面読めないですね。

美輪 :今は、お読みになる。

小室 :読めないです。

コードは読めても、おたまじゃくしでは弾けないです。

国分 :本当ですか、やった! 近い。

美輪 :そういうかたの方が売れるのね。

音楽学校でて、音楽理論でつくる人って売れないのね。

感性の邪魔されないで、感性のままっていうのは逆によろしかったのね。



アメリカ中が驚いたホールインワン


フロリダ州クリアウォーター

一年中温暖な気候は、
仕事をリタイヤし第二の人生過ごす人が移り住む場所です


レオフォアルコさんも、この街で暮らしています


1916年 オハイオ州で生まれた
レオファルコさんは、31歳の時にパットさんと結婚しました。

そして、今から13年前に視力を失ったのです。

レオファルコ :朝起きると、真っ暗で不安になりました。

今でも、妻がそばにいて、私を励ましてくれるのです。

パット :生まれ変わっても、
またこの人と結婚するわ。


妻のパットさんに支えられ、快適な毎日を過ごすレオさん、
目が不自由になってもゴルフは続けています。

毎週木曜日、仲間たちとゴルフを楽しんでいるのです。

目の不自由なレオさんが打つときは、
ボールの位置や場所を教えてもらいます。

レオ :まだ、若い者たちには、負けたくないんだよ。


そんなレオさんが奇跡を起こしたのは、
今年の1月、
舞台は、ショートホールでした。

いつものように仲間のアドバイスを聞いたレオさん、
そのショットは...。


見事にホールインワン。

パット :すごく驚いたは、たった一打で入れるなんて。

レオ :みんなの指示通りに打っただけ、
すごくラッキーだったよ。
(ラッキーショット アンド ベリーラッキー)

このショットにアメリカ中が驚きました。

仲間たちが記念に開いてくれたパーティ、
そこには、ホールインワンのデコレーションケーキと
レオさんの涙がありました。

そして、もちろん誰よりも喜んでくれたのは、
奥さんのパットさんでした。

レオ :私生活では、パットの世話になりっぱなしだけれど、
ゴルフ場では、パットいらずさ。

奥さんと仲間の支えが奇跡のショットを生んだのです。



国分 :いいお話ですね。

92歳で、初めてホールインワン。

江原 :みなさんの愛情があるといい事を引き寄せるものですね。

国分 :レオさんがとったホールインワンではありますが、
周りの人も喜んでいるというのがいいお話ですね。

美輪 :不思議なのはね、
無欲の勝利っていうのがあるのね。

選んで、よーしこれをやってやろうと、
スケベ心でね、狙うと全部外れたりね。

仕事でもそういうことがあるじゃないですか。

本当にね、無心にやるといいことが起きてね、
思わぬ成果が上がったりすることが多いですよ、世の中。

国分 :ただ、無心って本当に難しいですよね。

コンサートやってても、力んでしまったり、
ミスタッチをしてしまったりしてしまうことがあるんですよね。

江原 :緊張しないためには、自意識を無くすということです。

国分 :いつもコンサートになると、お客さんがいないとか
メンバーが全然違う曲を弾いてたりとかそういう夢を見るわけですよ。

新しいツアーがあってまた夢を見たんですよ。
そのときは、僕の楽器がなかったんですよ。

もうしょうがないから、踊りまくったっていう夢を見たぐらい、
前の日から不安になるんですよ。

でも、皆さんもそいうことあったりするんじゃないですか。

YOU :私は、そんな立派な考えじゃなくて緊張しない方なんです。

国分 :すごくうらやましいですね、
そんな立派な考えがなくて、緊張しないなんて。

YOU :ずうずうしいんです。



“仲間たちが呼んだ無欲の勝利”

これも幸運の秘訣のようです。



榎木さんはすごいサイキックな人


平凡な美大生だった榎木孝明さんを変えた
かずかずの幸運な出会い

それは、単に運がよいだけなのでしょうか

そして、なぜインドに惹かれ、
何度も訪れてしまうのか

幸運を招き出会いを生かす秘訣が明かされます


国分 :メッセージみたいなものがあるんですか。

江原 :インドはふるさとみたいなもので、
こっちの国のほうが新しいから、
なじみがうすい。

それで、インドがもとにあるし、
ヒマラヤで、ひとつ不思議に思うのは、
そういうことをやってきてるから。

インドでね、ヒマラヤでヒマラヤ行者の時もあるし、
まあ、そういうことに興味を持つのは当然。

またそれを、ご自身で瞑想とかするのは当然、
当然ずくしで、なぜ日本に来てね、
現実の暮らしの方の学びなんだなと。

よくこの番組でも言う、
「里の業」とよくいいますけれど。

榎木 :今が大事だと思いますね。
過去はとにかく、今が一番大事だと思いますよね。

過去未来も、関係なくて今をいかに生きるかが人間大事でね、
そこで迷っちゃうといろんな揉め事が起きちゃったりとかね。

江原 :前世というのも、ひとつのヒントにはなるけれども、
前世をみちゃっても、今じゃないですか。

今がなぜあるのかというのは、前世をヒントにしてだから今があるのかってことで、
結局、今なんですよね。

結局、今をとりこまないと。

美輪 :だから、今なにをすべきかということ。

江原 :榎木さんの場合は、スピリチュアルなものをお持ちだけれど、
言葉上の問題ですよ、
もともと、サイキックな力があるんですよ。

先ほどの映画でもなんでも、
大きなきっかけやチャンスがあったというけれど、
いや、自分でうっていくんですね。

一般の方で、榎木さんも共通して学べることがあるとすれば、
無駄な心配をする人って世の中多いじゃないですか。

そうすると、あの思いってそっちの方へ持っていくんですね。

どんなことがあってもこっちに行くもんって、
そっちへ山登りじゃないけれど、
ヒューっとそっちへロープを引っ掛けちゃうんですね。

で、そこへ登って行っちゃう。
そういう力がすごく強い。

たとえば、古武道もうだけれど、
あれもすごいサイキックなもんですよ。

気もそうじゃないですか、
気を食べるとか、
エネルギーを使うのが意外と自在な方。

榎木 :僕は時代劇でやりたい映画が今あって、
待ってるより自分から仕掛けて、薩摩の映画を来年作っちゃおうとそういう発想になっちゃうんですよね。

プラス思考に、昔は違ってたんですけれど、
30代半ば頃ですかね、変わって来たのは。

一見、嫌なことでもこれを自分に教えてくれるために起きたとプラスにね変わっていっちゃいましたね。

美輪 :プラス思考にね。

榎木 :典型的な能天気。

美輪 :それがね、人生の本当のコツなんですよ。

いかにね、人間の持ってる力がすごいかということ。

皆さんね、否定的なの。

まさか私が、俺がそんな力ないよとか、
全部ね、はじめっからマイナス思考で後ろ向きなの。

できなということを前提にして生きてるのよ。
だから、できないの、運がよくならないの。

運が悪いからと、そうして思い込んでるから運が悪いんですよっていうの。

いつもいいことが起きて、ラッキーなことしか起きないとか、
そういう人がプラス思考で、能天気でケセラセラなの。
だから、それをなさるのでしょう。

榎木 :そう、結果的には、
そうしてるんでしょうね。




自分が運が悪いと思い込んでいる人には、
幸運はつかめない

自分の可能性を信じて、
自分は運がいいと思い込むプラス思考の能天気、
それが幸運を呼ぶ秘訣だというのです。

そして、榎木さんが描く水彩画にも、
大きな意味がありました。



江原 :すいませんね。

不思議なメッセージで、美輪さんもおっしゃいましたが、
国分くんもいってましたが、やさしいと。

見ているすべてのものを、現実のものですよね。

美しいものですが、それをもっとクリーニングしたものを絵に写しちゃうんですよね。

だから、汚れたものをすべて美しいものに変えているのが榎木さんの絵。
要するに天界の絵なんですよね。

だから、どこも天国にさせちゃうということ。

榎木 :かっこいいことをいわせてもらうと、
いつも風を書きたいと思ってますから。

国分 :風。 風を書くのは難しいですよね。

榎木 :うん、見えないけど風。

江原 :榎木さんは、街とか風景とかをお描きになりますよね。

今後、榎木さん人を描いて差し上げたがいいというですよね。

榎木 :アジアに行くとね、一杯描いていたんですよ。

おじいちゃんも子供も。

江原 :アジアでは、もともとのモデルが綺麗だから描いていて楽しいんです。
綺麗なものをうつしているから。

でも、この国にいるとね、どうしても汚れる。
だから、それを描こうという意欲がわかなくなっちゃう、
くたびれちゃったりするんですよね。

そうじゃなくて、描いて見せてあげれば、これがあなたの本当のエナジーだよってことを示して。

だから、誰を見てもそうだし、
それを見ている人が、自分がそれだけのピュアだってことを思いおこすことができる。

心のレントゲンみたいなね、
そういう力があるみたいな絵にね。

だから、本当に人生に無駄はなくていろんな経験をして来られてるでしょう、
たましいのうえでね。

それ全部に役に立ってるんですね、
だからそういう意味で神を見せてあげるというのかな、
高い波動を見せてあげるるっていうことを進んですることと。

あと、まあ、今回ということでは、泥の方を見る勤めというか、
ハス方じゃなくて泥の方を見る勤めだと、
ヒマラヤ行者さんがおっしゃるんですね。



モノが本来持っているうつくしさを描く
榎木さんの作品

これからは、人物を描きその人のピュアな部分を見せてあげればいいというのです。


武道を愛し、最近は薩摩の志士たちに心を惹かれるという
榎木さん

いまは亡き父の思いが

映画に興味がすごくあって薩摩の映画を作りたい、
薩摩出身の武士を主人公にしたいんですけれど。

あの界隈って異常に惹かれるんですけれど、
やっぱりあの時代に惹かれるなにかに影響しているのでしょうか?

江原 :ううん、それは、お父さんの気持ち。

それは、お父さんの意向が伝わってきてのことであって、
ご自身のいのちの経路じゃなくて、
お父さん自身の興味なんですよ。

榎木 :そういえば、敬天愛人(けいてんあいじん)っていってましたね。

西郷さんの天を敬い人を愛するというのを床の間にどんとあったから。

それが、親父が好きだったんでしょうね。

江原 :それをなさっているのが、親子のコミュニケーションであり、
父孝行。

国分 :お父さんは、役者になったことに賛成されているんですか。

江原 :賛成もなにも、自己責任の上で生きるということをすごく大事にしてる人で。

だから、もともと、自分で責任を負えるのかということを常に頭にあるんですよ。
でしょう。

だから、責任を負えるんだったら「よし」なんですよ。

責任を負えないことに、投げ出したり、逃げ出したり、言い訳したり、
これぜったいゆるさない。

だから尊重してるんですよ。
人間としてしてはいけないことはゆるさなというんですよ。

美輪 :これからね、
ちょっと大変、榎木さん。

榎木 :私ですか。

美輪 :もっと覚醒していくから、いろんなことが。

やるべきことが、大ポピュラー大会にね、
いろんなたとえば古武道いろんなことや、
世直しじゃないけれど、それに近いことをはじめますよ。

榎木 :時代劇を通してね。
世の中を変えようとか、ぜんぜん思ってないけれど、
表現することで確実に伝わっていくものがあると、
今、すっごく信じてますので。

すごいエネルギーで邁進はしてますね。

美輪 :でしょう。

それをますます発展させるようにおなりになると思いますよ。

楽しみだわ。

榎木 :ああどうぞまたご一緒に、
お願いします。



人間には、無限の可能性がある

母の教えは幸運を招くキーワードでした


さまざまな才能を開花させた榎木さん

そして今、
誇り高き薩摩隼人だった父の思いが、
時を越え榎木さんに届けられたのでした






















































榎木さんが古武術で国分を倒す


・美輪さんの大きな影響

国分 :美輪さんとの舞台も大きかったんですか。

榎木 :そうですよ、
とってもたのしかったですからね。

美輪さんは、朝のあいさつがパッと見て
「愛してるよ」っておっしゃってて。

僕は、それに答えられなかった、
なかなかわからなくて。

でも、今は答えられます。
朝から一発で、「愛してるよ」って。

美輪 :おかぶとられちゃった。

榎木 :わかってますけれど、
当時は、そこまで行き着いてないですからね。

美輪 :人類愛だからね。

国分 :僕も、収録が終わってから
「愛してるわよ」といわれるんですけれど。

これ言われなくなったらどうしようっていうプレッシャーもあるんですよね。

愛してるという言葉の重みってあるじゃないですか、
それを、美輪さんは重たい言葉なんだけれど、
さらっていわれるじゃないですか。

美輪 :というのは、見かけのことだけで愛してるわよというのは、
重くなるのよ。

私は、そういうことはどうでもいいの、私はその人のたましいとか知識あふれる純粋さとかがこよなくいとしいわけじゃないですか。

それが好きだから愛してるわよというわけね。

榎木さんもそういうことをお持ちだから。

榎木 :やっとわかりましたね。




1993年 黒蜥蜴で美輪さんと共演


美輪さん以上に不思議な人だという
榎木孝明さん

実は役者意外にいろんな顔を持っています

そのひとつが武道家
ふるさと薩摩の薩摩示現流(さつま じげんりゅう)を学び

さらにふれるだけで相手を倒す
古武術の達人でもあるのです


国分 :ちょっとやってもらってもいいですか。

榎木 :いいですよ。

力を抜いて、こんだけです。
(軽くふれて、国分を倒す)

国分 :今、全然力は入ってないですか?

榎木 :力入ったらできないです。

もうひとつ人間には、『正中の理』というのがありまして、
垂直にがんばってまっすぐに立って下さい。

まっすぐたっても、指で押します。
(国分が倒れる)
倒れちゃうでしょう。

あなたの正中線を通しますね。
(押しても倒れない)

国分 :すごい!

榎木 :正中を通してあげたら、
その瞬間に百会(ひゃくえ)から一本の線が地球に向かって
スコンって一本のラインが出来るから、
多少押されても磐石に立てる。

国分 :正中線はどうして見えるんですか?

榎木 :どうしてでしょうね。

自分がわかると人のも見えます。

でも、これもまっすぐ立つ方法、
みんなに教えましょう。

 1.かかとをあげてトンと下ろす

 2.肩をあげてストンと落として下さい

これで、同じく、
これでまっすぐ立てる。

あと、腰痛もちの人とか自分で直っちゃったりとか、
自分で自分を矯正していきますから。

こんなに簡単なのに、みんながんばってまっすぐ立っていると、
逆です。

力が入っちゃって、必ずゆがんでいっちゃうから。

武術の基本です、
この正中ラインというのは。

国分 :これはおどろいた...今。

美輪 :日本の古武道というのは、
すごい生活の知恵なのね。

榎木 :当然のごとく、庶民も武士もみんなこれをわかってたんじゃないですかね。

それを踏まえたうえでの時代劇を再現したいというものです。

美輪 :すばらしい。



武術で言う正中線とは、体の中心を上下に走る線のことです

正中線をまっすぐに保てばバランスがよくなり、
体を自由にコントロールできるといいます

榎木さんの不思議を示す古武術へのこだわり

そして、もうひとつの顔は、
こころの赴くまま世界を歩くさすらいの旅人

20年前にインドの旅で感銘を受けて、
以来さまざまな国を回っています


そして、旅にかかせないのがスケッチブック

榎木さんは画家の顔も持っているのです

独学で水彩画を学び、
今では2つの美術館を開くほど高い評価を得ています


国分 :美術館って2つもあるんですか。

榎木 :おかげさまで、今は、大分県と
北海道の美瑛町というところに2つあります。

国分 :絵は昔から書くのが好きだったんですか。

榎木 :結構、ちっちゃいころから好きでしたね。

美大では、陶芸がやりたくて陶芸専攻だったですけれど、
ただ、今書いてるのは水彩画なんですけれど。

誰からも習ってなくて、我流で。

江原 :でも、デッサン力はおありですものね、
受験とかあるから。

榎木 :受験勉強かなりやってた方ですからね。

国分 :風景が多いんですか、書くのは。

榎木 :旅の途中で一杯書いてきましたので。

国分 :日本は行ったことのない場所がないぐらい。

榎木 :都道府県は、そうですけれどね。

国分 :あと、アジアを旅するのが好きみたいですね。

榎木 :なんで、こんなに好きなのかと思うぐらい好きですね。

国分 :きっかけは何なんですか。

榎木 :劇団四季辞めて初めて、インドに行って、
それまでヨーロッパは行ってたんですけれど、
芝居見に一人で行ってたりしたんですけれど。

国分 :なんで、四季辞めてインドに行こうと思ったんですか。

榎木 :あまり理由は、呼ばれてる感覚でしょうかね。

江原 :もともといらしたから。

榎木 :そうなんですかね。
一番安心する瞬間があって。

国分 :一番お勧めしたいのはやっぱりインドですか。

榎木 :インドは、回数も一番多いですから、
去年で12回。

去年は、10歳になった息子を連れて、二人旅をして来たんですけれど、
ベナレスというところに行って、インドでは
10歳以下の子供と妊婦さんと毒蛇にかまれた人も遺体をそのまま流したりするんですけれど。

たまたま、2歳ぐらいの男の子の遺体が流れてきて、
それも息子は、見てるんですけれど、
その後、ガンジス川で2人で泳いでるんですね。

日本人ってなかなかガンジス川に飛び込めないんです。
さすがにそこに死体があってね。

美輪 :日本人は現代だけに生きてるでしょう。

でも、インドのガンジス川とかそこいら辺の人たちやなんかは、
現代とか古代とか時間を超越しているところで、
そこで生きてるから。

価値観が全然違うんですよ。

不思議な体験が多い榎木孝明


今週の「オーラの泉」は、
不思議な力をもっているといわれる
榎木孝明さんでした。



スピリチュアルチェック

小さい頃どんな子供でしたか : 
 チャンバラ大好きの子供でした

尊敬している人は誰ですか :
 母親です

人生の転機はいつですか :
 「天と地と」という映画をやったとき

想像して下さいあなたはエネルギーに満ち溢れています
 どこにいますか :
 ヒマラヤ

なにか特技はありますか :
 武術を長いことやっていて、ふれると人が崩れていきます

なにか不思議な体験をしたことがありますか :
 たまに幽体離脱をしてました、と思ってます




国分 :美輪さんとは初めてですか。

榎木 :舞台ではお世話になりました。

黒蜥蜴(くろとかげ)を。

美輪 :明智小五郎をやっていただいたの。

国分 :初めて美輪さんを見たときはどんな方でしたか。

榎木 :不思議な方でしたね。
今でもそうですけれど。

美輪 :よく言うわ、自分のほうでもよっぽど不思議なんだから。

国分 :江原さんとは。

榎木 :以前出させてもらいました。
再開を楽しみにしてました。

国分 :印象は、どんなですか。

榎木 :アンパンマンというかね、
僕からは、お助けマンにいつも見えてます。

国分 :形は。

榎木 :形もそういえば。

お助けマンの方の、窮地に陥ったときに助けてくださる。
ごめんなさい、最初からお助けマンといえばよかったですね。

国分 :かなり、不思議な体験というのは多いのですか。

榎木 :あまり不思議とは思わないですね、
お二人もいろいろやってらっしゃいますが、
私は、不思議と思ってないですね。

世間から見ると変わっているけれど、二人からすると全然そういう意識はないと思います。

国分 :世間が思う不思議なこととは、今まで。

榎木 :僕は、アジアに行くのが大好きで、
たとえば、インドではプラーナという言い方をするんですけれど、
中国では、気ですね。

仙人はかすみをたべていきていると、
あれは僕は本当だと思っているんですね。

僕は、食べなければ何日食べなくてもいいです。

国分 :それは、やったことがあるんですか。

榎木 :最近も、3日間なにも食べなかったりとか、
ここの線を細くしたいとおもったら。

国分 :それは、ダイエットじゃないですか。

榎木 :そうですね、
田中一村という画家の役をやったときは、
15キロもダイエットをしたんですけれど。

意識は、そのプラーナを食べながら、
一日一食はたべましたけれど。

国分 :その気は、持ったりするんですか。

榎木 :気は、その辺に見えますから。

意識としては、飲み込んで胃で腸で消化するというイメージをするとわりと簡単に入っていく。

食べないと体力が弱っちゃうとか、これだけの栄養素を人間はとらないといけないよとか、
あれは、全部うそだと思ってるから。

国分 :本当ですか、大丈夫ですか。

榎木 :常識として、人間が決めたことだから。
だから、常識を人間が知れば知るほどちっちゃくなっちゃって。

美輪 :だから、常識と真理は違うということね。

榎木 :そうです。

美輪 :だから、真理に基づいていれば、常識なんてどうでもいいの。

榎木 :人間が常識化したときにそれが本当になるんです。
食べないと死んじゃうと思った人が、本当に死んじゃうんです。
食べなくても死なないと思った人は、死なないし、
食べなくても痩せないと思った人は、痩せないんです。

簡単なことですね。

国分 :簡単なこと。
ものすごいレベルの高い話しになりそうな。



美輪明宏も太鼓判を押す不思議な人

これまでも、不思議な出会いと転機の連続でした


1956年 鹿児島生まれ

両親は、共に教師、4人兄弟の末っ子として育ち、
美術大学に進学するために上京

そこで、最初の転機が訪れます

演劇と出会い、最初に劇団四季に入団、
若干24歳でオンディーヌの主役に抜擢されたのです

幸運な役者人生のスタートでした



国分 :もともとお芝居には興味があったんですか、
子供の頃から。

榎木 :東京に来てからですね。

芝居のしの字も知らないし、興味も全然無かったですね。

僕は、美大に行きたくて上京しまして、
結局、2年も浪人してしまうんですけれど、
その間に芝居を始めてしまったんです。

父親がそれで、亡くなったもんですから、
厳格な父親でしたから、生きていたらたぶん許してくれなかったでしょうね。

結局は、大学を辞めてから、芝居の方に転向しましたから。

国分 :厳しいお父さんだったんですか。

榎木 :もう、厳しい、薩摩のスパルタで、
裏の川によくつれていかれて、
ちっちゃころから、ザブーって(川に沈められていた)、
僕は、すごい泣き虫だったもんですから、
「泣くなって」っていいながら、
でも、もっと泣きますよね。



厳しかった父とは反対に、
母親は、いつも榎木さんを励ましてくれたといいます



榎木 :僕は、さっき母親を尊敬するいいましたけれどね。

ちっさいころから、毎回いわれることが
「お前は、無限の可能性をもっているからね」って。

もの心ついたころから言われてまして、
小さいから、「よーし俺は無限の可能性を持ってるんだぞー」っていってましたけれど。

でも、ちゃんとそれを信じられるようになったのは、
30代半ば以降ですね。
本当だ、人間というのは無限の可能性を持っているんだなと、
実感として感じたのは。

国分 :認識できたんですね。

美輪 :さっき、「天と地と」っておっしゃったけれど、
あれは、おいくつのとき?

榎木 :あれは、32ですね。

美輪 :32で、そう思ったのはそれがあるのよ、
具体化してきちゃったわけ。

ある日突然、さっきの黒蜥蜴の舞台の話もそうだけれど、
ある日突然、パッパッとひらめいていくでしょう。

あなたの場合。

榎木 :そうですね。




テレビドラマにも活躍の場を広げた榎木さん

その後も大きな出会いが待ち受けていました

当時、次々に新しい作品を発表していた角川映画

その超大作「天と地と」に起用されたのです


そこには、角川春樹監督との出会いがありました


国分 :人生の転機ですけれども、
「天と地と」という話がありましたけれど、これは。

榎木 :監督を角川春樹さんがおやりになったんですけれど、
彼も「天と地と」をずっとやりたい作品だったんですけれど。

僕は、彼が監督としての才能がないんじゃないかなと思っていたぐらい
ダメだしが「違う、違う」としか言わないんですよ。

ほかになにも知らないんじゃないかなと思うぐらい、
それが何ヶ月も続きましたよ。

国分 :なにが違うかは言ってくれないんですか。

榎木 :言わない。

違うとしか言わない、なにをやってもやりようがなくなるというか、
何ヶ月かたって、奈落の底に落ちて、それこそ奈落の底に足が着いたみたいな感覚で、
自分の我が無くなったときにやった芝居でやっとオッケーが出て、
そのときにすごい人だなと思ったのは、
一言「俺が待ってたのはそれだって言われたんです」。

それまでは、榎木ががんばってきたんです。

美輪 :角川さんもまた、スピリチュアルなことが大好きだったから、
だから榎木さんはいらない上杉謙信ならそれでよろしい。

榎木 :そういうことだったんですね。
それに気づくまで長いことかかって。

美輪 :まだその頃は、スピリチュアルなものを感じたり思ったりしてなかった頃だったんですね。

榎木 :そうですね、まあ好きではあったけれど、
あまりわかってなかったですね。

美輪 :そこがわかっていれば、
一発でOKになってたはずなの。

私がね、角川さんのアニメでね神様の役をやったんですよね、
そのときに、すぐいっぱっで決まってたの。

榎木さんもね、スピリチュアルなことをあれしてたら一発だったのよ。




宇宙の消滅をたくらむ幻魔と人類の超能力者の戦いを壮大なスケールで描いた
SFアニメ「幻魔大戦」

角川監督も一発でOKをだしたという美輪さんのセリフは、
人類の見方をするエネルギー生命フロイというこの世のものではない存在の声でした。

松居さんに伝えられたメッセージ


ようやくしあわせをつかんだ松居さんに
再び起きた悲しい出来事


国分 :一番悲しかったことは、
船越さんとのお子さんを流産したことと。

松居 :はい。

私は、身が引き裂かれるぐらい、船越の子供を欲しかったんですよ。

本当に欲しくて、欲しくて授かったんですね。

夢が叶って、もうどうしようと思うぐらい悲しかったんですね。

しかし、ずっと検診に行っていて、心臓が動いていないって聞いてもうどうやって家まで帰ってきたかわからないぐらいで。

私は、立ち上がれないと思っていたときに
船越が、
「僕は、もし僕の子供が欲しいと思っていたら他の人と結婚してたよ」
って、
「僕は、君と、死ぬまで生きて行きたいんだ。
そして、一人僕たちの子供がいるじゃないか」って、
「これが一番よかったんだ」って言ってくれたときになにかサーっと解けて行ってね。

美輪 :松居さんは、この人のためなら死んだっていい、
船越さんも甘い独身生活を全部切って息子さんとあなたのためそればかりを考えた。

そして、息子さんも船越さんとあなたのためを思った、
みんながまずは相手のためを思う条件として持ってくるわけですよ。

赤ちゃんも私は出ないほうがいいんですよということで、
赤ちゃんも自分よりも皆さんのためを思ったわけ。

みんながそうやってお互いのために身を引いている、
赤ちゃんもそう思って身を引いたんですよ。

松居 :今から思えば、そう思います。

でも欲しくて、「さくら」っていう女の子だったんですよ。

だから、桜が咲く頃になるとさくらが幼稚園行ってるかなってね。

美輪 :でも、今でもいらっしゃいますよ。

松居 :そうですか。

江原 :この世に出なかっただけでしょう。

2人の間にお子さんが授かったわけですから。

それは、事実なんです。

この世に出なかっただけでしょう。

二人の間にお子さんが授かったわけですから。

それは、事実なんです。

この世にでなかっただけで、生を受けて、
今も永遠に行き続けていて。

いずれ、ご夫妻がともどもこの世の学びを終えた後にお帰りになって、
そのとき一緒にまた暮らすことになって、
先の楽しみがまた一杯できたって事です。

松居 :そうですか、さくら待ってますかね。

美輪 :形が見えないだけで、一緒に生活してらっしゃるから。




桜の季節になると思い出す赤ちゃんのこと

それでも、再びまた出会えるというのです


江原 :松居さんの行き方が、スピリチュアルな法則にのっとって生きてらっしゃる方だなと思うんです。

たとえば、お掃除ひとつもあなどってはいけないんですよ。

お掃除は、本当にそこに思いをこめることなんです。

家族を守りたかったら、そこに思いをこめることなんです。

それを、私はよくオーラマーキングと呼ぶんですけれどね。

洗濯もそう、ちゃんとたたんでこそ、そこに思いがこもるんですね。
それを着てる子は、それだったらお母さんを裏切れないです。
家族を裏切れない。

後、食べること。
食べることって、みんな忙しくて一緒に食べれないでしょう。

でもね、人と一緒に食事が出来なくなったら、
それは、心の危険信号なんです。

あるとき、そういえば子供とご飯を食べてないと気づきだしたら、
ときすでに遅しでかなり深刻になっていたりで。

あのね、嫌いな人のつくったものってなぜか食べれなくなるものなんですよ。

美輪 :これは料理屋さんもそのなのよ。

どんな一流の料理屋さんもね、
中華なんかのどうでもいいやという気持ちでやったチャーハンとかね、
いくら味をつけてもまずいの。
おっしゃるとおりよ。

松居 :お米を研ぐときもこれで、主人や息子が元気になるようにと思って研いでますから。
お米を研ぐときからですので、そりゃ違いますよね。

美輪 :それは、みなさんの参考になる話だと思いますよ。

国分 :子供はもっと敏感かも知れないですよ。

江原 :そうですよ、
私は、忙しいお母さんたち多いですけれど、
一品で二品でも作ってくださいと、他の買ってきたものとあわせてもいいからつくってくださいと。

これが、目に見えないことの大切さなんですよ。

それに松居さんは、どんな苦も思いの念、思いの力で変えてる。

だから、それに美輪さんのおっしゃる正負の法則もくわわっているし、
もうご自信でテーマをおっしゃってて、

日は昇り沈みそしてまた日は昇る

みんな日が沈んでいるときに、日が昇ることをあきらめるんですね。

そういうことじゃない、一生懸命目に見えないことをこめていくということ。
それをしていけば、必ず自分自身に良い形として帰ってきますよって思っているわけです。



人生がうまく行かないときは、掃除でも洗濯でも料理でも、
いつかしあわせが来るように愛情を込めて

思いを込めることがしあわせを呼ぶのです


江原 :松居さんは、これだけ忙しいのにお弁当をつくってあれやってとても大変なことだと思うんですよね。

よく言うんですけれど、
子育てって自分の身をそいだ分、
それが子供に宿るんですね。

それで、子供が輝ける、子供を信じることが出来るのは自分自身を込めているから。

よく、自分の子供を信じられないとかいうけれど、
それは、自分を込めてないからだと私は思うんですね。

それと、松居さん素晴らしいのは言霊。

ご主人、子供さんみんな褒める。
けして、過保護じゃないんですよ、
この子はこんなに努力しましたとか、
人前で言う。
それを聞いてる子供はうれしいはずです。
ご主人だってそう。

美輪 :それを、日本の皆さんが昔のやまとなでしこがやってたことを失ってしまって。
その生活の仕方、生き方、掃除の仕方からご飯の作り方、
家族のたたずまい、心の持ち方、そういうものをね、
教師などで一人でも多くの方にお伝えになるようになるといいですね。

松居 :いいですね。
そうなればいいなと思ってますけれど。

美輪 :今まで叶ってきたから、叶うんじゃないですか。
夕べ伝わってたんですよ。

夕べ、松居さんこういうこと考えてるとフッと思ったの。
私のところに来て、お話になりましたよ。

松居 :夢のことだと思ってたんですよ。

江原 :結婚もなにもかも念力で成し遂げたんじゃないですか。

松居 :今、私この場で決心できました。
やる気が出てきましたね。

国分 :やってやるぞと。

松居 :はい。

松居さんの運命の出会い


松居さんに、船越英一郎さんと運命の出会いが、
そこには別の意味の戦いが待っていました

さまざまな苦難を乗り越え、
船越英一郎さんと出会った松居さん

しかし、結婚にいたる道は決して平坦な道ではなかったのです


松居 :衝撃的でしたね。

であったときに、もうあっ夫だと思いましたから。

ああ、居たっと思いました。

その日、帰って息子にいたよ、いたよって言って、
とうとう会ったって言ったら、
誰誰々って言って、そして、この人よって。

それで、ドラマを見たわけですよね、
息子は、2時間サスペンスのドラマを私と二人で見たんです。

それから、息子は、そのテープが擦り切れるかなというぐらいまで、
テープを見てすべての俳優さんのせりふを最初から終わりまで、
2時間ですよね、全部覚えたんです。

国分 :すごいですね、それは。

松居 :それまで、トーマスとかそういうものを見ていたんですよ、
アンパンマンとか一切見なくって船越が出ているサスペンスなんです。

朝、おきてから寝るまでサスペンスなんです。

国分 :トーマスから、崖のシーンに変わったわけですよね。

松居 :それが、エキストラの出ている、「おーい」というせりふまでおぼえて一人で2時間サスペンスが全部出来るんです。

美輪 :だからね。
ご縁というのは、怖いですよね。

松居 :怖いですね。

でも、そのときは、ご縁があるということはわからないじゃないですか。

なんで、この子急にトーマスからね、
せりふを全部覚えてるんだろうと思ってね。

今度は、母としていとしくなって、
あっこの人を絶対にお父さんにしなければいけないという戦いが始まったんです。

国分 :まだ、心をつかんでいないんですよね。

松居 :まだ、会っただけですからね。

でも、絶対この子のためにあの人をお父さんにしなければいけない。

どんな手を使ってでもですよ。
もう、私の考えられる手は全部行きましょうと思いましたね。

国分 :どんな手を使ったんですか。

松居 :まず、向こうも警戒してるわけですよね。
それは、私には子供がいますからね。

松居さんて、子供抱えて大変だなとおもっていたそうです、
最初は。

それで、うまくお部屋に行くことが出来たんですよ。

でね、船越はすごく独身貴族でもてたんですよね。

それで、お部屋にあがることが出来たときに、とにかく家具を見方につけようと思ったんです。

それで、船越の住んでるお部屋とかをお掃除するんですけれど、
お掃除するふりをしながら、私の念力を植え付けたんです。

椅子とかに、ここに他の女性が座りませんように、座りませんようにって。
すべて、そう思って拭いていたんです。

まず、それがひとつ。

サスペンスにいくと、2週間あけるんですね。

そうすると、洗濯物が山のようにあるわけですよね。
それを女性がさせてくださいというのを嫌う人だったんですよね。

でも、ずーっとお願いし続けて、洗濯物をもちかえることが出来たんです。

もう、うれしてうれして、Tシャツとかパンツとかに念力をこめるんだって思って、
息子が肌が弱かったから、すべての衣類にアイロンを当てていたんです。

それで、船越のトランクスにどうぞ他の女性が触りませんようにと思って全部にアイロンを当てていたんです。

それで、後は、胃袋をつかまないといけないと思って、
近く通りかかったのでと言ってお弁当ですよね。

念じるものはと思ってましたから。

そんなこと船越は知りませんから、
ありがとうございました、ありがとうございましたって、
とっても言葉が仰々しいんです。
私のこともずっと松居さんでしたし、
私には子供がいると思ってね。

だから、私はね、友達なのか、同業者なのか、恋人なのか
わからなく5年間過ごしたんです。

苦しかったですね。

国分 :完全勝利ですね。

松居 :はい。
いつの間にか、他の方がいなくなってくれて、
それが終戦記念日だったんですよ。



船越さんのため、
料理洗濯、掃除などとにかく思いを込めた松居さん
それでも最後の決断を迫ったのは息子さんでした


息子がだんだん大きくなってきて、
お嫁さんにもらえるのか、
そうでないのか聞きに行くというのです。

そんなの、あなた子供だからダメよと言ったんです。

そしたら、自分で行って来いというんです。

で、お嫁さんにしないといったら、
もう2度と行かせないというんです。

それで、私の口から結婚という言葉が出たんです。

それまで、5年間その言葉を避けていたんです、
たぶん、その言葉が怖かったんです。

それで、初めて言ったら、船越が考えさせてくださいっていったんですね。

息子にそういったら、
「考える時間は、十分にあった」というんですね、
「もう考えてるはず、もう一回行け」というんです。

もう一回行けといわれたのが終戦記念日だったんです。
それで、行って船越の家に上がらず、
思いのたけを語ったんです。

今日決断してもらわなければ、もう会えなくていいですと言ったんです。

そして、船越からは2時間半かかりましたが、
「今はいろんな問題があって難しいけど、
一緒に生きていこう」と言われたんですよ。

それで、ついにその言葉が聞けたと思って、
結婚するまで、また少し時間があったんですよ。

それで、息子にもう一緒にいるんだからお父さんって呼んで見たらっていったら、
頑として「呼んで欲しかったらな、証拠をもってこい」って言ったんです。

証拠というのは、婚姻届ですよね、
「証拠を持ってきたら呼ぶ、それまではエイタンだ」。
本当にすごかったですね。

それで、婚姻届と養子縁組ですね。
うちは、同時になんです、船越が一分たりとも籍のうえで別にするのが嫌だと言ったんです。

それで、息子が帰ってきたとき6年生でした、
「船越リュウイチが帰ってきました」っていって帰って来たんです。
そして、パパって初めて呼びました。

もう、船越、玄関で息子を抱えてぼろぼろ泣きましたね。

国分 :いや、しっかりした息子さんですね。

松居 :私にね、こいつしかいないんだよっていったんですよ。

私の中では、子供を抱えてどんどん年も重ねてくるし、
違うご縁もあるんじゃないかなと迷いました、
好きだって一度も言われたことがなかったわけですから。

でも息子がこいつしかいない、こいつじゃないといやだというんですよ。

美輪 :だからね、今世限りの次元でものごとを考えるとね、
うそみたいなドラマティクな話しですけれど、
次元を超越したところの物語としてみると、
何百年ぶりかでやっと会えたわけだから。

そうすると、なるほどなるほどということが一杯出てくるわけですよ。

松居 :だから、先生と美輪さんから何百年も昔に船越と息子が親子だったということ聞いたときにね、
すべて解けたみたいで、だからだったんだって。

だから、私は何かあったときに、ちょっと心が苦しくなったときに、
主人がださせていただいたときのテープを一人で見て、
こんなすばらしご縁をいただいたんだから、
嫌なんてことないかこんなことぐらいっていって思って本当に生きてこれました。

美輪 :ご褒美よね。
今までの苦労が、黒の黒さが深ければ、深いほどしあわせになったときのしあわせがね、
ありがたさの感じ方が100倍にも200倍にも感じられるわけじゃありませんか。

そこそこの人生だったら、「まあしあわせですわ」程度なんですよね。

だから、苦労も後で考えるとありがたいことでもあるわけですよね。


5年の付き合いを経て、二人の生活が始まりました


















松居さんに次々に不幸が襲う


息子のアトピーが治まった頃、
今度は、松居さんが病に倒れました


夫の浮気が発覚し、離婚

しかも、夫の連帯保証人になっていたため、
1億7,500万円も借金を抱え、
顔面麻痺になってしまったのです

度重なるストレスが原因でした

松居 :ストレスは怖いですね。

突然、何の前触れもなく顔が崩れてきたというのですかね。


崩れてきて、4時間たったときに舌にも麻痺がきて、
それでろれつが回らなくなったんです。

それで、お医者さんが検査をしたら、
極度のストレス、睡眠不足、
4年間の息子の看病とでいろいろなものが重なってこの病気がおこったって。

もう、TVに出る仕事とか人前でお話しする仕事とかは、
よくなってもちょっと考えられませんとおっしゃったんですね。

顔が曲がったまま、言葉のろれつがうまく行かない、
それは残るだろと言われたんです。

もう、病院の病室から飛び降りようかなと思うんですけれど、
顔がお化けだったので、飛び降りると身元判明にね。
この顔だったら、もしも私だとわからなかったらどうしようと。

やっぱり、生きるべきだと思って、
もう顔がお化けでも、しゃべれなくても、
抱えてる息子を20歳まで育てあげないといけない。

そのときに、なにが出来るだろと思って、
新聞広告の求人欄ばかり病室で見てました。

そのときから、お掃除が好きでしたから、
住み込みの家政婦さん募集とかよく書いてあったんですね、
ああ、これだな、これ行けば息子は育て上げられるなとずっと思ってました。

国分 :でも、1億7,500万という借金は残るわけですよね。
ずっと。

松居 :残りましたね、
ずーっと、戦いましたよ。

前の夫が勝手に別居して作った借金だったんですよね。

美輪 :その借金が成立するってのがおかしいですね。

松居 :本当にね、何で私ばっかりと思いましたけれど。

だんだん、試練で強くなってきてるんですね。

それで、今度は試練を楽しもうと思うようになったんです。

ゲームだって、試練もゲームなんだって、
だから、私がこういう手をだしたら向こうはどうでてくるかって、
すごくある程度のところからエンジョイできました。

それで、なんでもいらっしゃいよと、
受けて立つわよいらっしゃいませという気持ちになりましたね。

美輪 :まさに女の中の女ですね。

松居 :それもね、息子を背負ってたからだと思います。

美輪 :情けは人のためならずでね、
息子さんがいらしてなかったら、
途中で挫折してらしたんですね。

この人のためなら地獄にでも落ちてやろうという気になったのが、
自分のためにもなったということですよね。



タレント活動ができなくなっても、
大好きな掃除の仕事なら出来る

不幸にあってもただ嘆くのではなく、
自分に出来ることを考える

松居さんは、常に前向きな考え方で離婚のストレスと
借金を乗り越えました

しかし、次なる試練が...



新居が欠陥住宅だったんです

今度は、建設会社との戦いが始まりました


国分 :すごい人生を駆け抜けてますよね。

そんなに続くかって感じがしますもの。

松居 :今度は、天井が落ちてきましたからね。

びっくりしました。

私の着物から洋服からすべてのものを置いていたんです。

436点が目の前で、一気に汚水につかりましたから。

あの、私もへなへなとなりました。
明日、仕事に行くのに服が着られない。
靴もないうわーっと思ったんです。

けれども、次の日私服着てました。
パンツも履いてた。

何だ、人間てパンツ一枚と靴一足と洋服一着とかばんがあれば生きていかれるのかと思ったんです。

全部いらなかったんだと思ったんです。

命だけあれば、生きていかれる。

息子と私の命は助かった、
天井は私たちの上には落ちてこなかったんですから、
なーんだ、服なんかどうでもいいのかと思いました。

美輪 :現代の人は、特に物欲でね。
ものやお金や数字がね神様じゃありませんか、
だからね、ヘタしたら自分の命や自分よりも
そっちの方を題字にね価値観としてあがめてるんだけれど。

実はそんなものは無くったって、
命とか精神とか愛とかがものすごく価値があるもので、
物欲のそんな価値観とかへのようなものじゃないかっていうのに、
お気づきになったのね。

松居 :ええ。
へだと思いました。


天井が落ちても、自分と息子の命が助かっただけまし

再び、前向きな考えでこの苦難を乗り越えることが出来ました





松居一代さんと息子の不思議な縁


「オーラの泉」2人目のゲストは、
お掃除名人、元気の配達人として活躍する

松居一代さんでした。



スピリチュアルチェック


小さい頃どんな子供でしたか :
 すごい負けず嫌いでした

趣味はなんですか :
 お掃除ですね

人生で一番うれしかったことはなんですか :
 子供が誕生したときです

人生で一番つらかったことはなんですか :
 船越の赤ちゃんを流産したときでした

好きな言葉はなんですか :
 今までずーっと言い続けてきて
『日は昇り日は沈み 必ず日は昇る』
この言葉を支えに生きてきました



国分 :オーラの泉ですけれど、今のご気分はどうですか。

松居 :主人がね、お世話になりましてね。

主人が出させてもらったときのVTRをどれだけ見させていただいたかわからないぐらい。

見るたびに私、泣いているんです。

本当に素晴らしいメッセージを私と家族、息子にいただいて、
あーしあわせだったと。

このビデオがある限り、私は家族の縁の下の力持ちでね、
生きていかれると思って見させていただいているんですね。

その番組に次は私でしょう。
だから、なんていうか、すごくうれしいです。



結婚と同時に父親となった船越英一郎さん、
松居さんの息子との間に深い絆がありました。


≪船越さんが登場した時≫

江原 :本当に出会いたかったのは息子さんなんですよ。

実はね、前世でも親子なの。

美輪 :前世でも親子なんですよ。

前世では、本物の親子だったんです、義理の親子じゃなくて。

江原 :変な話ね、
息子さんの方が船越さんと気質もなにも似てるでしょう。

船越 :顔まで似て来てる。

美輪 :あのね、今世では血のつながりのない赤の他人でもね、
前世で親子だった人はね、
ビックリするぐらい好みが似てるの。
そういうところがおありでしょう。

船越 :はい。



・前世の不思議な縁

国分 :前世では、息子さんと船越さんが親子だったんですね。

そこで、(松居さんが)洗濯、お掃除もしていたって言ってましたね。

松居 :大変だったですね。

私は自分で、お姫様ぐらいに思ってたんですよ。
いや、よく働くお姫様だなと思ってたら、
これでした。





1957年滋賀県生まれ

競艇選手だった父親に似て、負けず嫌いな松居さん

高校時代からモデルとして、芸能界に入り、
22歳で『11PM』の司会者に抜擢されました

29歳の時、青年実業家と結婚、
待望の長男を授かるまでまさに順風満帆な人生でした


しかし、息子は重度のアトピー性皮膚炎にかかり、
病との闘いの日々が始まるのです


国分 :息子さんが重度のアトピー性皮膚炎というのは。

松居 :もう、すごかった。

血だらけでしたね。

親だから写真は毎日とってましたね、
でも血だらけでぼろぼろですから写真を撮ってやれないわけです。

初めて言えた言葉が「かいい」でしたから。

美輪 :自分が代わってやりたいうぐらいでしょう。

松居 :本当に自分の命と引き換えにこの子をよくしてやりたいと思ったけれど、
光が見えなくてさまよい続けましたね。

つらかったですね。
4年間。

だから、4年間食事は、私は立ち食いでした。

国分 :息子さんが中心の生活になったということですね。

松居 :私の生活はすべてなかったですね。

息子は、それでもよくなればと思ってましたから。

江原 :それだからたえられるんでしょうね。

私の知ってるお医者さんとかは、
「かゆみは精神を病む」って、ただかゆいっていうそんなレベルじゃないと。

実は私もね、重度のアトピーだったんです。
いまは、全然ね。
そのつらさは本当にね。

私はね、小学の高学年から出たんですけれど、
21、22のときぐらいまで。

どこの病院に行ってもダメだし、
それこそ、病院で全裸で研究用に撮られたぐらいです。

松居 :うちの息子もそうでしたね。

どこの病院でも、ここまでひどいのはみたことがないっていってね。

国分 :食べ物とか気を使ったんじゃないですか。

松居 :もお本当にね、これがアトピーの原因じゃないかわからなといわれて、私が全部除去してつくってましたね。

パンも除去して、安全なものを焼いて、
ずーっと台所にいましたね。

でも、息子を私は母親の手でこの子を良くしようと思いましたね。
もう、それしか私たち生きる手がないと思いました。

国分 :どうやって治したんですか。

松居 :いろいろなことをやりましたし、
最後は中国までね。
日本で見ていただいた先生がいらっしゃって、
その方が突然いなくなったんですよ。

でも、どこのどなたか私たちわからない状態だったんですね。

でも、その先生しかいないと思って、
息子を連れて、漢方薬をせんじていた鍋を抱えて、
中国へ人探し旅行へ行ったんです。

それが、息子が3歳7ヶ月でした、
初めての海外旅行はその人探し旅行だったんですよ。

美輪 :だって、中国って13億もいるのよ。

松居 :そうです、雲をつかむような話しです。
映画のような話なんですけれど、奇跡が起こって、
道端でその先生に出会ったんです。

美輪 :映画だって、それだったらウソーっていいますよ。

松居 :本当ですよ。

それで、その漢方薬を飲むことができて、
完治に近づいて行ったんです。

だから、あの時探すことが出来ない、日本にいらっしゃらないんだからといってギブアップしていたら今の息子の肌は無かったんじゃないかなと思います。

美輪 :地球の人口は60億からいるんですよ、
その確立からいったら。

松居 :本当になにが入っているんだろうというぐらい、
みるみる良くなりました。

ところがそのまま良くならないまま先生がいなくなられたんですよね。

きっと私にはその試練が必要だったんでしょうね。

今から思えば。

江原 :そうやって戦う思いの力が相当役に立ったでしょうね。

予断ですけれど、全国には、なにをしてもダメだってアトピーでね
死にたいってみんな思ってます。
それぐらい思っている人が山ほどいますよ。

松居 :そうですよね。
つらかっただろうと思いますけれど、
その本当に苦い漢方薬を私の目の前でごくごく飲んだんです。

もう大人でも飲めないような薬なんです。

でも、それを3歳5ヶ月の息子が飲んで私に
「お母さん、僕治りたい」って、
「もうこれを飲んだら良くなるって中国の人が言ったから飲めるよ」って言ったんですよ。

それで、一回も嫌と言わず、朝と夕の決められた時間にごくごく飲んでました。




○どんな苦労があっても負けず、いろんな治療法を試した松居さん
その願いが叶い、息子のアトピーは治りました


東国原知事が高千穂の力に衝撃を受けた


神話のふるさと

高千穂の力
を美輪さんが証明します

美輪 :いろんな色がありますよね。

その中でね、
白に対して、なにか特別な感覚をお持ちにならない。

東国原 :私は、下着やパンツは全部白です。
今まで、ずーっと白です。

プレゼントで、グレーとかもらうとぜんぜんダメです。
まっ白じゃないとダメですね。

靴下も白じゃないといけないんですよ。

スーツに白はどうかといわれて、無理やりグレーとか紺にしますけど。
だから、ワイシャツは全部白です。
色物は、ダメなんです。

美輪 :そうなの。

白でないといけないのも意味があるんです。

東国原 :なんか、気持ち悪くなってきちゃった。

江原 :だから、美輪さん、今日は白を着てらっしゃるでしょう。

美輪 :東国原さんがゲストだと聞いて、
じゃあ、白を着ていきましょうとなったの。

赤とか黄色とか、青とかいろいろあるじゃないですか、
でも、この人は前世の前世のずーっと、
とにかく昔の前世はね。

真っ白いしたたれみたいな神官が着るようなものをお召しになって、
先頭にたってね。
白装束みたいなものをお召しになってらしたのよ。

だから、神主さんや神職をやってらしたでしょう。
そのように全部白くして、聖隷にしとかなきゃいけなかったんですよ。

江原 :出る前に美輪さんと話していたんですけれど。

猿田彦っていう神様がいらっしゃるんですよ。
そのゆかりが強くてね、お神楽にもでてきますけれど、
そういうものに縁があって。

知事がなさることは、全部道開きでしょう。

美輪 :先頭に立って道を開いていくんですよ。

江原 :だから、走るのがすきなのも道開き。

道路もつくりたい、人も呼び込む道をつくりたい。
全部、道を開くためのこと。

失礼だけれど、不便な場所じゃないですか。
でも、これだけ人を呼び込む道をつくっているんですもの。

だから、便宜だけがすべてじゃない。
そこに意義を感じれば。

また、そこから嫁とりの道も開けましたよね。

美輪 :行列の一番前を歩いてるんですもの。
そう見えるんです。

江原 :道路をどう通すか、鉄道をどうつくるか。
そういうことも、大きな道開きになりますでしょう。

だから、そこに大きな気持ちがこもるのは、
そこに大きな役目があるから。

東国原 :どうも、宮崎ですね。
高速道路の話しなんですけれど、
高速道路が、空白地帯と言って九州で最大全国でも40何位なんですよ。

それを通したいというのと、
九州の横断道路、熊本と延岡の間に高千穂があるんです。
なんか、ここが起点なんですよね。

国分 :これにはなにか。

美輪 :だから、さっきからいっているような意味があるわけ。





天孫降臨

アマテラスオオミカミ(天照大神)の孫ニニギノミコトが地上を治めるために天から降りてきたとき

道案内をしたという神猿田彦

猿田彦とゆかりの深い東国原知事にもさまざまな道を開く役目があるというのです


高千穂と延岡を結ぶ高千穂鉄道は、
2005年台風による被害で運転停止、
復旧のめども立っていません。

そこで、高千穂の神々が東国原さんを政治家へと導いたというのです。


美輪 :日本の起源で、日本はそこからはじまっているんですよ、
それにも関わらず、伊勢神宮だとか、明治神宮だとかいろいろいらっしゃいますよ。
にぎわっているそれはいいことですよ、
でも、その大元である高千穂が、人が来ない、寂れてる、お参りする人もいない、
もうほったらかしみたいな。

それはね、道筋がぎゃくだろということなのよ。

だから、あなたが選ばれて、政治家にするよりも、
政治家にしたとしてもね、みんな知名度がない、なにがない。

だから、それより、人気者になって、それからということでいらして、

だから、結えなくしてそいうことをやっているんじゃないの。

東国原 :困ったな。

そいうことだったら、ものすごく責任感じますね。
宮崎のためを思ってってやってるもんですから。

美輪 :そういうことじゃないのもっと大変なことなの。
いっぱい大きな意味があるんですよ。

東国原 :たしかに、前例のない改革ばっかりやってるもんですからね。

周りの皆さんが、頭わかんないことばっかりになってね。

それでも、こうですよ、こうすればいいですよと説得しながらねやってるんですよ。

そういった意味では、宮崎の県政も行政もあたらしく生まれ変わっているような気はしますけれどね。

美輪 :それはね、
宮崎のためだけじゃないんですよ。

宮崎が新しいことをやっていっぱい改革やって成功してるじゃないありませんか。

皆さん見習いなさい、やれば出来るんだよと、
全国の知事、市長にそれを言って知らしめてるんですよ。

江原 :役目。

役目だから。

美輪 :だから、宮崎だけじゃなくて日本全体のために高千穂から指令があってやってらっしゃるから大変なの。

国分 :美輪さんがいわれるように、
こうやって知事がでるようになってから、
うちの知事ってどういう人だったっけってかんがえるようになった人が多いと思うんですよ。
それもひとつすごいことだなって。

美輪 :いつまでも、遅々として改革が進まない都道府県もあるわけですよ。

そういうところが、あっちができてね、どうにもならなくて大変なところがあれだけになっちゃった。
なんでうちができないのってことに日本国民が思ってくださればいいの。

国分 :だいぶなってきたような気がするんですけれどね。


宮崎だけじゃなく、全国の知事や市町村長に伝えること、
それが東国原知事の使命だというのです。


そして東国原さんの人生には、だれもがしあわせになる成功の秘訣がありました。


江原 :皆さん今回のことで見習った方がいいなと思うことは、
自分自身の『静』。

静のときの時間の使い方なんですよ。

だから、そのときの知事においては勉強なさったり、
将来のために一杯蓄えたんですよ。

それが、いまものすごいエナジーになってる。

この「オーラの泉」に出られたエネルギッシュな方たち一杯いるでしょう。

その方たちは、必ず静の時間をもっているんですよ。

たとえば、昔童話で三年寝太郎という話しがあったけれど。

みんなね、静のときは嘆いたりするんですよ。

もし、今どん底という人は、今の時間の使い方が間違ってますよと言うことを理解してもらえたらいいなと思ってます。


トラブルや災難に見舞われた、静の時間。

そのときをどう過ごすのか、
東国原さんが静の時間で大学に入学したように、
成功した人は、静の時間を有効に使っているのです。



東国原 :私、13から4年ぐらいマラソン大会で雨が降ったことが無いんですよ。
なぜか。

去年、宮崎でマラソンがあったんです。

その時、雨が降っていたから、ああこのジンクスも破れたかと思っていたんです。
行ったらやんだんですよ。
それで、終わったらまた雨が降ったんです。

走ったら、やんだんですよ。
こういうことが、結構、あるんですよ。
気味悪くなって。

美輪 :気味悪くないですよ。
それは、全部してくださっているわけだからね。

わたしなんかしょっちゅうですよ。
後ろの方たちが全部してくださってる。

東国原 :あいさつしといた方がいいかもしれませんね。

「オーラの泉」でるといったらいろんなところからメールが来ましたよ。

とうとう来ましたねとかいわれました。

美輪 :それも八百万の神から宣伝に使われたわけ。

東国原 :今日は本当にありがとうございました。

国分 :どうでしたか、今日は。

東国原 :いやー、びっくりしたのは、
白。

本当に昔から白しか受け付けないんですよ。

美輪 :だから、それが証拠だということをおっしゃるわけよ。

それが、ひとつの証拠になるから申せと言われたの。

東国原 :だから、白塗りとかいうと興奮するんですよ。
自分は変態じゃないかなと思ったから今まで言わなかったんですよ。


知事が呼ばれたのは、日本の伝統と歴史にもう一度目を向けさせるためだったのかもしれません。


東国原 :最近、高千穂をないがしろにしてたので、
帰ったら高千穂に行ってきます。

ありがとうございました。


東国原知事が高千穂で不思議な体験をした


二度目の謹慎がまた大きな転機をもたらします。


43歳で早稲田大学に合格。

もともと興味があった政治を学び。

そして、昨年、
芸能人から政治家へ


2007年、県知事選に出馬したときに、
不思議な体験をしたのです。


国分 :不思議な体験を高千穂で。

東国原 :僕は、ずっと政治を勉強してて、
とにかく、宮崎の衰退をどうにかしないといけない、
どげんかせんといかんと思ったんです。

それで、宮崎に帰り。

僕は、宮崎に生まれてこの方、高千穂に一回も行ったことがなかったんです。

あそこは、熊本よりで僕は都城っていって南の方なんです。

でも、なぜか惹かれたんですよ。
行ったことないのに高千穂って。

宮崎に出馬するなら、高千穂を見なきゃ、高千穂にご挨拶しなきゃというのがなんかあったんです。

なぜかふらーっと行ったんです。
午後3時ぐらいです、山の天気は変わりやすいですから。

高校からの友達と二人で行ったんですね。

天安河原(あまのやすがわら). というところがあって、ちっさい橋をわたって、
岸壁のところを渡っていくと、
洞窟みたいなところがあって、そこにお堂があるんです。

石が積んであって、お香のにおいがして、なんか神秘的なんですよ。

洞窟に入る前で、もう帰ろうよと言ったんです。

稲森もそうだねって言って、帰ろうとしたときに
「帰ってきなさい。
あなたがやりなさい。」
みたいな、そんなような声が聴こえたんですよ。

振り返っても誰もいないんですよ。
白いもやがふわーっとかかってきて、

気味が悪くなって、稲森と
「逃げろ!」って、足早に登っていって。

さっき、「帰って来いといわれたような気がする」、
7〜8割り宮崎に帰ってこようとかんがえてたから、
その心の現われだと思うんだけれど、そうだと思うんだけど。

そしたら稲森が、「すいません、
おれも聴こえたんだけれど。」
えって、うそって。

ぜんぜん、彼も霊感があるわけじゃないのに。

美輪 :彼に聴こえるはず無いんですよね。
あなたの心の声だから、もしそうだとしたら。

でも、彼にも聴こえたんですよね。

東国原 :はい、そうです。

でも、僕らは空耳だろうと、親友だから。

国分 :それは、男の人の声なんですか。

東国原 :それは、男の声でもなく、女の声でもなく、
わーんと。
どうも、美輪先生みたいな声だったです。

美輪 :性を越えてるはずなの。

国分 :お二人は、笑ってたんですよ。

高千穂って言ったときにクスクスと。
これは、なにか絶対あるはずなんですよね。





宮崎県にある、天の岩戸をご神体にする、

天の岩戸神社


弟、素盞嗚(スサノオウ)に怒った天照大神(アマテラスオオミカミ)は、
この天岩戸に隠れ、
世界は、闇に覆われたといいます。

このとき、困った神々が天照大神を外に出す方法を相談をしたのが、
天安河原(あまのやすがわら)。

国会議員と宮崎県知事、どっちを目指すか東国原さんが迷っていたとき、
ここ天安河原で、
「帰って来い」という不思議な声を聴いたというのです。



国分 :高千穂で聴いた声というのは、
誰が言っていた声なんですか。

江原 :神の声ですね。

美輪 :天の声ですね。
それは、間違いないですよ。

東さんのすべてのはじまりは、
みんなその高千穂から来てるんですよ。

原因はすべて、高千穂に。

江原 :そういうこと。

宮崎は神話のふるさとではあるけれど、
だけれども、
知事は本当に神話の神というか、
そのエナジーの導きがものすごく強い人で。

実は、さかのぼってお話しすると、
東さんがお出になられてね。

でも、わたしはさもありなんと思ったんですね。
政治の世界に行かれて、ゆくゆくは国政にね行かれるんじゃないかと思ったときがあって。

なぜかというと、実はわたし前は神職だったんですよ、神主なんです。

その神主のとき、奉職していた神社があってそこのすぐお近くにお住まいで、わたしは何度もお見かけはしてるんです。

そこのお宮は、総理をはじめ大臣を何人も出しているところなんです。

それこそ、佐藤総理から竹下総理みたいなところまで、
そこのすぐお近くなんです。

だから、ああ国のために働くために、この土地に下宿に来られたなと。

今にして思えば、高千穂から預けられたかのように。

美輪 :生まれたときからね。
すべてのことは、高千穂が物語の最初からあるんですよ。

ご自分でも、変だ不思議だとお思いにならない。
だってね、当選しました。
それで、マスコミが大騒ぎするのは、せいぜい、2〜3ヶ月のことだと思ってらしたでしょう。

それがね、もう一年過ぎてるんですよ。
こんなに長く、しかも日をおうごとにエスカレートしてるでしょう。
人知のおよぶところだとお思いになる。

東国原 :いろんなところに行くと、県産品を買いに来てくださる。
あれが不思議なんですよ。

それで、僕なんかにキャーとか言うんですよ。

今日の東京マラソンでも、満遍なくお客さんがいらして、
ここが宮崎かなと思うぐらい、でも東京なんですよね。

こんなハゲに、みたらこんなじゃないですか。
県庁にも、毎日1000人ぐらいいらっしゃるんですよ。

観光客の方が、知事に会いに来たと、
わたしに会ってどうするんですか。
不思議でしょうがない。

美輪 :だから、ちゃんと順序をふんであるんですよ。
そいうことで、宮崎にではなくて、
高千穂にいらっしゃいということなんです。

東国原 :それで、私は呼ばれて行ったんですか。

あれは、不思議でしょうがないですよ。

今まで、高千穂のたの字もなかったんですよ。

江原 :芸能と神事はもともとひとつなんですよね。

高千穂に行けばわかりますけれど、
それこそお神楽(かぐら)ね。
芸能は、もともと神事からはじまっているものですからぜんぜんおかしくないんですよ。

東国原知事はスピリチュアルに気づいていなかった




国分 :スピリチュアルというものに興味はありますか。

東国原 :神秘的なものは、苦手というか、
小さい頃から、感じたことがないんですよ。

おそらくあったんでしょうが、
感じる能力がなかったんじゃないでしょうか。

美輪 :いいえ違うのよ。

感じてもいるし、いろいろな能力もおありだけれど、
あなたは、とても論理的で、理性的な方だから、
それを、見ようとしなかっただけなんですよ。

それを、思い出すと一杯あるはずなんですよ。
あれもそう、これもそうと、今に思い出しますよ。

東国原 :ああそうですか。

僕ね。
霊体験というのをしてみたくて、
どんなもんなんだろうと、
まず、金縛りにあってみたいなと。

うちに、つまみえだまめ君というのがいて、
いろいろな霊体験をしてるから。

それで、たけし軍団でツアーで回っているとき。

その、寝てたら金縛り見たいのにあったんですよ。
あら、体が固まった。

念願のと。

うわー金縛りにあったと思ったら、
テントと壁のあいだに挟まってたんです。

だから、先生がおっしゃったようにあると思うんですよ。

今思えば、こういうことが不思議だなと。

正夢とか、デジャビュだったり、ああいうのは確かにあるんですよ。

美輪 :論理的な方だから、それでおしまいという風にしてらしたんじゃないですか。

もっと素直にかんがえれば、幼少期からあるはずですよ。

東国原 :確かに、前のかみさんの話しをしていいですか。

ものすごい偶然であうんですよ。

この広い都内を、二人別々に移動してて、
信号ですよ。

ある日のある時間、ピッタリ横で会ったり。

それを、ただの偶然で終わらせてることじゃないかなと。

美輪 :そういうのがいっぱいおありですよ。

東国原 :この前、離婚してから2年ぐらいたつんですけれど、
この前、東京の新宿道りを走ってたら、
ロケやってるなと見たら、
かみさんなんですよ。

「どうもご無沙汰してます」って。

気味悪くて。
ロケ中なので、サーと通り過ぎて。

国分 :いや、多いですね。
奥さんの場合、何か意味があるんですかね?

江原 :いや、それだけの縁ですね。

きずなのある人とは、不思議なもんでね。
離れていても、そうやってもばったり会ったりとか。

東国原 :今、拠点は、宮崎じゃないですか。
たまたま、東京に来て、マラソンの練習をしてたんですよ。

10分ずれてもあわなかったかもしれません。

美輪 :そうゆうものなんですよ。





神が空から降りてきたといわれる、
天孫降臨の地 『高千穂』

神話のある、宮崎県に生まれました。

小さいこと、お笑いか政治家になりたかった東国原さん。

大学時代に、人生を変える出会いが。

演芸場で、ツービートの漫才をみて衝撃を受け、
たけしさんの一番弟子となります。

タレントとして、順調にスタートを切ったものの、
思いもよらない事件が待ち受けているのでした。



国分 :人生の転機。

まず、1986年のフライデー事件。

東国原 :小説に興味がありまして、
ミステリーが好きなんですよ。

江戸川乱歩賞というのが、国内の最高の賞なんですよ。

この賞をとりたいなと、甘い夢を持っていて。

1986年の12月10日だったと思うんですけれど。

深夜2時ごろに師匠から、電話がかかってきて、
いまごろなんですかって、
「うちの姉ちゃんがフライデーに撮られたんだよ。」って。

うちの姉ちゃんって付き合ってる姉ちゃんですよ。

「目には目を。
ペンの暴力には、暴力だ。」って、
わけがわかんない。

フライデーって講談社なんですよ。
江戸川乱歩賞も講談社なんですよ。

そんなとこに殴りこみに行ったら、
一生、江戸川乱歩賞取れないと思ったから、
すいません、師匠、
文芸春秋社になりませんかっていったら、

「ばかやろ、
なんで、フライデーに写真撮られて、
文芸春秋社に行かなきゃいけないんだ。」って。
「行くんだ、みんな集めろ」って本気なんですよ。

そしたら、11名でしたね。
集まってきたは。

講談社の本社に、12名でタクシーに乗って、
どきどき。

私は、嫌ですよ。

本社に行ったら、警備の方たちが、
夜中2時ですよ。

「どうぞ。」って言うんですよ。
おかしいでしょう。
普通だったら、「どうしたんですか。」
とか言うでしょう。

師匠が電話してたんですよ。
「これから行くから、首洗ってまってろ!」って。

そんなの、殴りこみに来たところをフライデーにとってまた載せられるじゃないですか。
飛んで火にいる夏の虫じゃないですか。

それで、行ったらエレベーターがあって、
見たら最大載積量が550キロで、
定員11名と書いてあるんですよ。

こっちは、12名ですよ。
ラッキーと思って、
ギダイユウ君は100キロぐらいありますから。

みんなを乗せて、ぎゅうぎゅうだったので、
私は、2便で行きますって。

そしたら、奥から師匠が、「東乗れよ」って言うんですよ。

だから、しぶしぶ乗ったら、ブザーが鳴らないんですよ。

それから、みんな気が立ってるから、開いたところをボーンと押されて、それを写真に撮られて、
翌日の新聞に、
『東、先頭を切る』って書いてあって。

本当に、大変ですよ。
その場で、現行犯逮捕されて。


師匠には逆らえず、殴りこみに参加して現行犯逮捕。
タレント生命は終わったと思われました。

しかし、謹慎生活が新たな才能を開花させたのです。





東国原 :それから、謹慎になって3ヶ月間仕事できなくて、
その間に小説を書くんですよ。

今までやれなかったことをやろうと、
「ビートたけし殺人事件」というのを書く。

それが、ヒットしまして、売れましてですね。

それで、ドラマ化しましてですね。

で、主演をお願いしたのが加藤かずこさん。

出会って、愛が芽生える。

それで、フライデーのあの事件は、人生の転機かなと。

美輪 :災い転じて吉となす。

東国原 :そうですね。



謹慎中に書いた小説がベストセラーとなり、
美人女優と結ばれた東国原さん。

しかし、しあわせもつかの間、
さらにスキャンダルが。




東国原 :98年風俗店に行ったんですね。

そこで、未成年を使ってると、
行ったのは事実なんです。

後日、警察から電話がかかってきて、
「風俗店で、未成年を使ってた、
これは、児童福祉法と、青少年育成条例に抵触するので、
そのまんま東さん、
未成年を使ってたということで、
この店を摘発したいんですけれど、ご協力をお願いします」といわれたんです。

つまり、そこで働いてたことを証明してくださいと。
警察が言うには、東さんには迷惑はかけないと、
うちからメディアにもれることは一切ないと。

任意の取調べを受けて、この子が働いてましたって。

それから、お昼ですね。

おそばを食べてたら、
「イメクラA店が児童福祉法と青少年育成条例違反で摘発されました。」って、
「そこに、出入りしていた、美人女優を妻に持つ、
T軍団のそのまんまH。」って。

私、犯人じゃないから匿名でなくちゃいけないんだけれど、
そのまんまHって言われたら、
匿名でもなんでもないじゃないですか。

それで、全国に広がって、反社会的な行為ということで、
謹慎になって反省しまして。

一番悲しかったことがですね、
私が、でなくなっても代わりにその番組を誰かがやってて、
芸能界もメディアも社会も世間もそのまま動いて行ってる。

27年間生きさせてもらって、
僕の存在というのは一体なんだったんだろうと。

こういう世界なのかと、自分が消されたような、
悲しい思いでしたね。

これまでの生き方、価値観を反省しようと、
一から出直そうということで。

僕は、早稲田の文学部に行きたくなったものですから、
早稲田の文学部から入り直そうと。

41から初めて、43ですね。

美輪 :ひとつ悟りを開かされたんですね。

東国原 :そうなんですかね。


東国原英夫知事が宮崎をPR


今週の「オーラの泉」は、
しあわせをつかむ秘訣が明かされるスペシャルでした。

一人目のゲストは、宮崎県知事の
東国原英夫さんでした。




スピリチュアルチェック

小さい頃になりたかった職業はなんですか :

 お笑い芸人と政治家です。

ストレス解消法はなんですか :
 
 ただひたすら走ることです。

人生の転機はいつですか :
 
 1986年のフライデー事件、
 1998年の不祥事、
 去年の知事就任。

好きな女性のタイプを教えてください :
 
 結果的に、過去を見てみると気の強い女性。

なにか不思議な体験をしたことがありますか :

 宮崎県に高千穂というとことがあるんですけれど、
そこで、選挙の前に神の声を聴いたような気がするんですけれど。

おそらく、空耳だと思うんですけれど、
神の声のような気もするんです。

想像して下さい、あなたは余命一日と宣告されました。
なにをしますか :

子供に会いに行きますかね...。





宮崎県のセールスマンとして、
休日を返上して日本中を飛び回る東国原知事。

収録当日は、東京マラソンに登場。
42.195キロを完走してから、スタジオにやってきました。



美輪 :わたくしだったら死んでますよ、こんなの。

国分 :ですよね。
東京マラソンを走った後でオーラの泉に出てるわけですよ。

東国原 :ちょっと練習不足で、就任してからもすこしも練習してなくて、
ちょこちょこっと練習しただけで、
42.195キロは甘くないですね。

国分 :でも、完走わけですものね。

東国原 :完走はさせていただきました。
4時間42分。

でも、遅いというか、後半歩いてましたね。

国分 :大阪いったり名古屋にいったりしてるのはPR活動ですか。

東国原 :そうです。
県の物産品というか「情熱宮崎フェア」で、
宮崎の農産品とかをみなさんにみて、食べていただく。

わたしいったいなにやってるんだろうかと。
売り出し中のアイドル歌手かなんか見たいです。

美輪 :後から申し上げようかと思っていましたけれどね。
全部意味があって、お役目ですから仕方がないの。

東国原 :農業は、県産品で、皆さん愛情をもって育ててらっしゃるのをみてますから、
これは、魂をいれてPRしていかないとなと思っているんですね。

美輪 :でも、鳥インフルエンザでご難儀で、あれも異常なぐらい速く解決しましたけれど。

東国原 :そうですね。
宮崎モデルと、農水省さんからお褒めの言葉をいただきました。

美輪 :だって、あんなに速く解決するものじゃないじゃないですか。

東国原 :そうですね。
翌日、現場を見に行きたいといったんですね。

そしたら、県の方が「前例がない」とおっしゃったんですね。

県知事が動くと、発生した市町村の組長も議会も動かないといけない。
今日起きたからといって、明日はいけませんよ。
セキュリティの問題もありますから、

ましてや、現場は封鎖されてますからって。

知事なので、自動的に対策本部長になるんです。

本部長という人間は、入らなくてもいいからそこの雰囲気、空気、
周りの様子、環境を見ておかないと私はどういう指示を出していいかわからないといったら。

もしものことがあったらどうするんですかと。

いや私はいく、職員の方たちがセッティングしてくれないのであれば、
私は、自分で自分の車で行きますと。

わかりましたと、
翌日は、いろんな公務があったんですが、
全部飛ばして。

高速道路とか無いところですから、
市内から3時間ぐらいかかるところだったんですよ。
で、1日仕事になってしまってね。

見て、帰って来たんです。
もうちょっとはやい移動の手段はないんですかねって言ったら、
「あの、ヘリコプターがあるんですけれど」って。

はっ。
それを先に言わない。

国分 :知事が、車出しますって言ったときに、
「じゃあ車だって!」ことじゃなかったんですか。

東国原 :そうなんですかね。
それで、なんか柔軟性がないなと。

県の防災ヘリというのがあるんですよ。
普通言いますよね、その時。

国分 :ヘリだったらどのくらいで着くんですか。

東国原 :うん。
20分とか。

無茶苦茶でしょう。

美輪 :宮崎だけじゃなくて、
日本だけじゃなくて、アメリカもなにも世界中がお役人て全部そうみたいですね。
前例がないといことで。

だから、遅々としてすすまないんだけれど。

そういうかたが、そうやって前例を作っていけば、
すぐやるかみたいになるんです。

前例がないとすぐあきらめるかということになっちゃうんですよね。

だから、今の日本みたいになっちゃったんですよね。

東国原 :そういうことです。


 



・高千穂に観光客が殺到

国分 :美輪さんとは、初めてではなくて何回もお会いしている。

美輪 :何百回年前、たけしさんのね、番組に私がでて、
まだ、お弟子さんになりたててらっしゃったの。

たけしさんのそばにおいでになったときにおめにかかったの。

国分 :美輪さんを始めてお会いしたときどう思いましたか。

東国原 :あの、オーラの泉でしたね。

心とか、過去とか未来を見透かされているような気がしましたですね。
嘘をつけないとか。

国分 :じゃあ今日も嘘をつくつもりもなく。

東国原 :政治家が嘘をいってどうするんですか。

国分 :江原さんとははじめてですか。

東国原 :いや、本当にお世話になりましてですね。

高千穂という神話と伝説の街があるんですよ。

そこを紹介してくださって、
今、えらいことになってるんですよ、観光客で。

ボートがあるんですけれど、
冬でも30分から1時間人が並ぶんですよ。
今までは、ボートは閑古鳥がないてた。

ボートを一台増やそうかと。

国分 :それでも、ボートを一台だけですか。

東国原 :それでも、財政が逼迫してるので悩んでるんですよ町は。

江原 :宮崎は高千穂だけじゃなくて、
集まってるところですから。

江田(えだ)神社はそれこそ神話の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)がみそぎしたという池があって。

だから、いっぱいあるんですよ。

だからそれをただ紹介といいうのではなくて、
素晴らしいですよとお伝えしたと思って。

東国原 :新聞に江田神社は、木にパワーがあるっていってみんながてをかざして。
木の回りみんな、すごい情景になってますね。

国分 :知事のおでこもなんかあるといううわさになってますね。

東国原 :ご利益があるという都市伝説が。


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