西城さんのお父さんからのメッセージ



江原 :お父さん自身、秀樹さんに夢を持っていたらしいんですよ。

それは、商売、事業に対しての夢を持っていて、
お父さんて、すごい負けず嫌いな人で、
人には見せないで、裏でこつこつと努力する人。

それで、ずーっと小さいときから生きてこられたんですよ。
数字とかも、自分の独学で勉強したんです。

最初から教えてもらえたら、
要するに、出来が悪いわけじゃないと、環境がなかった。
自分でこつこつとやった分、時間がかかった。

でもそれで、ひとつひとつ身に付いたと思うと自負している。
自慢だと思っていると。

でも、息子には、次の段階から出発させたい。
それが、別の世界に育っていった。

でも、お父さん自身も、音楽は好きだったし、影で応援はある。

けれど、自分は一杯、現実を知ってるんですよね。

そんなに楽に世の中を楽に渡って行けるものではないとか。

そのときにお父さんは、なんと思ったか。
一日でも、長くいて、万が一帰ってきたときでもすぐに道が切り替えられるような準備だけしとけばいい。

西城 :本当に苦労した人だからね。

申し訳ないんだけれど、亡くなってわかることが多いですよね。

彼の息子でよかったと今は思ってますけれどね。

今のスターと秀樹さんの時代のスターとは忙しさの度合いが違いますでしょう。
もう、ものすごくたいへんだったと思うんだけれど。

でも、そんな中でも「いや、結構会った」というんですよ。
「本当はもっと会えない、それでも会えたほうだと思う」で、
男同士なのでそんなに会話するでもなく。

西城 :会話は、ないですね。
全然、なかったですね。

江原 :いや、いらないというんですよ。

お互いに足を引っ張りたくないし、気兼ねしたくもないと。

たまに顔をだす、手紙を出すで認識してさえいてくれれば、いいという感覚。

でも、先ほど痴呆がでたといってらっしゃったじゃないですか。

息子という意識はあまりないんだけれど、秀樹さんの顔を見たときに全部よみがえる。

秀樹 :母親はわからないんですよね。
兄も姉も、僕のことだけなんですよね、「秀樹」って。

母親にいったら、「それは西城秀樹のことをいってあなたを息子だと思ってないのよ」って言われたんですよね。
そうなのかなと思って。

江原 :西城秀樹も息子も一緒だったと思いますけれどね。
だから、ぱっと会えばすべてがそのときよみがえる、感覚的にね。

国分 :結婚しないのかというのは、息子に言っていた。

江原 :たましいからでたのでしょうね。

国分 :結婚されたことは。

江原 :もちろん、わかってますよ。

それは、お墓に来てくれたことも全部わかってますし、
だから、それはちゃんと伝わってるんですよ。

みんなそろってきてくれたってね。
ありえないっていうほどおどろいたって。

西城 :そう、行ったんですよ、子供もみんな連れてね。

江原 :それを、驚いたらしいんですよ。



それと、ちょっと...。

(西城さんに耳打ちで、メッセージを伝える。)

プライベートなことなので。

美輪 :今日のメインの話し。

江原 :ご本人が一番伝えたいことってあるじゃないですか。

美輪 :西城さんが、なぜここへいらしたかというのは、
今の話が一番大事だから。

国分 :耳打ちで話されたことを聞いて、
西城さんは、どう思いましたか。

西城 :いろいろな展開がこれからくるだろうけれどね。

あの、自分のことをいろいろ考えなさいと。

とても、おやじらしいな、
もし、生きていたらそうしなきゃいけないといったろうなという感じを受けましたよね。

久しぶりに、なんか、おやじっぽいなっていう言葉でした。
言ってるメッセージがね。

本当に、今日会えて本当に落ち着いたというか、よかったなと思います。

国分 :3ヶ月前に会いたいなということが、わかったということですよね。

西城 :さっき江原さんが、おっしゃったことなんだろうなという。

江原 :全然、余談なことをひとつ質問していいですか、
お父さんのあれなんだけれど、
お子さんが芸能界に入りたいと言い出したらどうします?

西城 :うーん、どうしますかね。

普通でいて欲しいんですけれどね。

3人とも、どうも好きみたいなんですよね。

それは、応援というか、へんな応援はしないですよね。
「自分で、がんばってみなさい」ぐらいはいうかもわからないけれど。

ここが、おやじと似てるね。
苦しいね。

これは、苦しいね。

好きなことをさせてやりたいけれど。

国分 :きっと、お父さんもその気持ちだったんでしょうね。

西城 :うん、そのときは、僕にはそうは映ってなかったんですけれどね。

今思うと、うーん、言葉が詰まっちゃう。

江原 :お父さんが、うれしそうな顔をしてる。

美輪 :『子を持って知る親の恩』というのね。

西城 :それは思いますね。
よくしてもらったと自分では思ってますけれどね。

江原 :おなじことができるかと。

西城 :それは、本当に僕の課題ですよね。



西城さんの前世


・前世の西城さん

江原 :これは、夢物語と思って聞いて下さい。

秀樹さんは、今生においては大スターというか、スーパースターだと思うんだけれど、あまり苦じゃなかったというのは変なんですけれど。

夢物語で、私が見えることでは、前の生では武将みたいな人なんですよ。

それで、中国とかの景色でりりしいお殿様なんですよ。

だけど、そっちのほうは慣れてるんだけれど、下々の方というかそっちの方が慣れてない。

さっきもいってらしたけれどね。
なんで怒るのかとか、それで悩むのかそれがわからないところがあって。

西城 :そうですね。
ちょとしたことがわからないんですよ。
だからそれを最近は感じ出して、なんでって?

人より逆なんです、
ある意味、パートナーの女房にまともなことを教えてもらってるのかもしれませんね。

江原 :実は、病におけるメッセージがあって、
親としての気持ちとか、夫としての気持ちとか、
弱い人の気持ちを全部学ぶために。

さっきの言語指導の話もあったですけれど、
その他のリハビリにおいても、スーパースターだった人が、
ほかの患者さんと接するというのはすごくつらいものがあるとおもうんですよ。

一患者さんに徹してやったんですね。

西城 :そうですよ。

そう思えちゃった。 
そのときの自分が一生懸命だったんで、
結構、俺好きだなって。

その気持ちが、毎日リハビリしようってよくなっちゃうからがんばっちゃうよね。

江原 :それを患者さんたちと一緒に、はいっと従う。

結構、スーパースターって大変なことだろうと思うんですが、
まったく素直に応じている映像が見えて。


話しは、もどりますけれど、幽体離脱もどきという話しがあったですよね。

たとえが難しいんだけれど、
「オペラ座の怪人」というミュージカルがあるんですけどね。

あの女性のように、いつも怪人にレッスンを受けているわけですよね。
なんか、催眠術にかかったみたいにね。

それと似ててね、
大ヒット前にそういう現象が起きてるんですよ。
常に。

何曲もヒット曲をお持ちだけれど、その都度。
ブレイク前に。

特殊な感覚になったり、感じたり。

西城 :ああ、そのとおりです。

江原 :自分でも何が何だかわからない、波が襲ってくるような。

幽体離脱とかがおきているのは、実は、ある種教育を受けているところがあって。

導かれてのスーパースターなんですよね。









・お父さんの思い

江原 :秀樹さんは、病気も気だとおっしゃったけれど、
本当に、この国には、元気をあたえてくれましたものね。

TVを通しても与えてくださったので、そういう役割。

秀樹さんの人生は、ご自身だけじゃなくて人と共有する、人に伝えるとか、元気を与えたりとか、常にそういう人生なんですよね。

西城 :好きですね。
そういうことは、

多分、それが元気のもとなんでしょうね。

江原 :でも、それってお父さんがよくよく望んでいた人生ですよね。

西城 :本当に、父には申し訳ないなと思うんですよね。

なんでも、言うことを耳を貸さなかったんですよね、その当時。

それが、今になって、ちょっとはなしたいよなという、
どう感じてくれたかなと思いますね。

美輪 :でも、お父さんは聡明な方でいらっしゃるからこういう風な人間になったらどうしよう、
こういう風な人間になった欲しいということばかり気にしてらっしゃったのね。

ということは、みんなね、芸能界ずーっと見てきて、自分もふくめてね。
自分の価値観と市場価値観とを混同しちゃうんですよね。

自分と自分の周りは、大スターで偉い人だと自分も思い回りもそう思っちゃうんですよ。

ところが、別の世界から見ると、何の価値もないなんで存在してるんだろうか関係ないよあんなのという世界も一杯あるんですよ。

若くて有名になったスターさんを今までずーっと見てきたら、
周りのプロダクションとか、ずれまくってるのね。

それに早く気がつく人と、気がつかない人といるの。

そこが恐ろしいの。

私は、そこに気がつくまで大変だったの。

西城 :昔から言う、商売の器ね。

それは、感じ出しても、それはそれで置いとくんですよ。

自分でいうのもおこがましいんですけれど、生活のうえでスターになりたいなって、
つまり、人生で。

そういうことを、感じ出したって。

江原 :秀樹さんは、スピリチュアルな方でね。

そのことを、お父さんもおっしゃってるんですよ。

人生のスーパースターになりなさいって。

お父さんおっしゃってる。

もう通じてるんですよね。


西城さんが病気から学んだこと


1977年 平山みきさんと結婚

翌年には長女も生まれ、新曲も発売

家族のために精力的に活動をこなしていたとき、
コンサートで訪れた韓国で脳梗塞を発症。

西城さんを襲ったのは、脳梗塞の一種「ラクナ梗塞」

脳の深部の細い動脈が動脈硬化を起こし、
小さい梗塞を発生するものです。

父親になって早々、病に倒れた西城さん


国分 :どういう状況でなったんですか?

西城 :済州島で韓国で、あんまり具合がおかしいので知り合いの医者に見せたら「多分、梗塞かもわかんない」それなにって聞いたら。

とにかくね、しゃべるのがうまくしゃべれないんですよ。
平衡感覚なくなぅて、歌で言うと音程がとれない。

それでも、どうしてもディナーショーやらなきゃいけないんだけれどっていって。
なんとか、しのいでキーを下げてやったんですけれど、
まあハチャメチャでしたね、ひどくて。

でもやりましたね、失語症というか、そののち3ヵ月後に水ということが言えないんですよ。

水はわかっているんだけれど、言葉に出ない。
それで、言いたいことがいえないんですよすーっと。

3ヶ月過ぎると鬱がでたりとか。

そういう風なもんなんですって後遺症としては。

3歩下がって2歩すすむみたいな、自分でもわからないんですよ、
どんどんわるくなっていってるんじゃないかなと落ち込んでいっちゃう
それで、2年たっても苦しかったですね。

3年たって直す気になった自分が。

だから、病気も気だし、元気も気だし、秀樹も気だしね。

病は気からはじまっているんだなということを、実感しましたね。

直す気がなかったら、病気は治らないんです。

国分 :3年かかるんですか?

西城 :かかります。

それで、自分との格闘があって、リハビリにがんばっている自分がこんなにがんばったことないから好きになるんですよ段々。

こんなにがんばって、いいなこういう人生もって、考え方を変えるわけ。

今までの自分を比較しちゃいけないんですよ。

70パーセントでいいんですよ、70パーセントの自分を比較してやろうということで逆に肩の力が抜けていろんなことが出来るようになったという。

国分 :何か、きっかけみたいなものは?

西城 :うーん、やっぱり家族ですよね。

僕は、この世界やめようと思いましたから。

歌えないと思ったんで。

世の中、「元気になってよかったですね」、ばっかりじゃないですか。
でも、だいじょうぶですっていう自分がつらくなっちゃったんですね。

おれやめようと思うっていったら、女房が
「ゆっくり病気になったんだから、ゆっくり歩いて病気を治していこうよ」っていうその時間のかけかたを言われたときに、
そんなにあせってないんだ俺より、
あせってるのは俺なんだって悟って。

まあ、子供も生まれたし、よしじゃあ一緒に、初めて自分から治そうと努力したんですね。

言語障害の子供たちを教える先生の後ろに一緒について、トレーニングするんですよ。

もう、涙が出てきちゃうんですよ最初は。

国分 :どんな、トレーニングですか?

西城 :舌の筋トレっていうんですかね。

冷やしたり暖めたり、それから刺激を与えたり、アナウンサーがやるような開口ですね、とかをやったりとか。

それだけじゃなくて、有酸素運動で動脈瘤を流したり血行を良くしてすべてをしなければいけない。

それを4年続けて、やっとまともになったかなという感じですよね。



歌うこと、踊ることもできない、
歌手にとって致命的な後遺症に見舞われて

長くつらいリハビリの日々を送ることになったんです。


歌える自分を取り戻すため、
しびれる体を少しずつ動かし、
特に口や舌を動化す訓練によって言葉を取り戻すことが必要でした。


そんな、リハビリを支え続けたのが妻みきさんでした。



国分 :そもそも、病気の原因というのは?

西城 :結婚して、長女が生まれて、
よし、この子のためにがんばろうって心が逆効果になっちゃったんだね。

水を飲まない、サウナに入る、しぼるしぼる。
その脱水症状を引き金に、ラグナ梗塞になちゃったんだ。

国分 :それは、ダイエットみたいな感じですか?

西城 :それもやったんです。
1月に5キロぐらいとか、自分ではよかれと思ってやったことがものすごく嘘っぱちなやりかただったんですね。

だから、まあよく聞いてからやったほうがいいですよ。

こわいです、ダイエットは。

美輪 :お水が怖いんですね。 

西城 :水の飲み方を医者に教えてもらったときに大変なんだなのどが渇く前に飲むのかみたいなね。

水って飲んですぐに、吸収しないんですって、
だから、飲んで1〜2時間して吸収してるんで、それから運動しながらペットボトルでこまめに飲んでくださいと。

国分 :ああ、しないですね。

西城 :食事をしながらとりなさいと。

食事にも水分がありますから、それで1.5リットルぐらいでいいですよ。

夏場で、1.5〜2リットルぐらい続ければ十分じゃないでしょうかね。

美輪 :それまでは、どういう食生活でらっしゃったの。

西城 :ああ、めちゃくちゃです。

油もんだ、暴飲暴食ですね。
好きなもんたべて、行くぞもう一軒みたいな感じですね。

そんな感じだったんですけれど、それはもうないですね、
今は。

美輪 :それが、すべての原因だったんですね。

西城 :それの積み重ねですね。

自分はスーパーマンだと思ったのが、スーパーマンじゃなくて、やっぱりメンテをしなきゃいけない。

やっぱり女房なんかは、揚げ物なんかを2度揚げてくれたりなんかしてくれるんで、本当に助かりますよね。

国分 :そのとき、奥さんは2人目の赤ちゃんをお腹の中に。

西城 :医者に言わないでくれっていったんです。

ぱっと(病院に)来てるんです。
脳障害のことは言わないでくださいね、お腹の中に子供がいるんでって。

したら「脳障害です。」って先生が言っちゃったんです。

もう、目が点になってましたね、それだけは覚えています。

それで、いろいろわかって、食べれるようになったらご飯作ってきてましたからね。

ちゃんと病院でもカロリー計算があるんだけれど、
さらにカロリー計算してくれて、できるだけやってくれたんですけれど。

子供もあいたいだろうと、2〜3回つれて来たんですよ。
子供はつれてこない方がいいからってあれして。

美輪 :女の方の切り替えの早さって、お思いになりません。

西城 :強いです。

まいったな、これどうやったら僕勝てるのかなって。
本当、一番いたいところを握られた感じですよね。

江原 :痛みのわかる方ですね。
お若くてね。

話しを聞く中で、見えてくるのは奥さんのことなんです。

いや本当に、慈愛というのか慈悲とか、奥様なりにお若くていらっしゃるけれど、
精神的に苦労をなさってきた方ですね。

ご家庭のこととか、そういうのがちょっと垣間見えて。




妊娠しながら、リハビリを支え続けた妻

さらに長男の誕生が、西城さんを勇気付けました。


西城 :長男が生まれたとき、不思議ですね。

すごく、その日、体が軽いんですよ。

体も軽いし、しゃべりも出来る。

これなにかあるなと、思って。

そこから、がんばったら、どんどん良くなって来たという。

そうすると、順番に自信がつくじゃないですか。

そのとき、ドキュメントとかいろんなのをみて、もっと大変な人がいるんだと思った時にやることはやろうっていう風に思ったのかな。

死に対する付き合い方を、それは生きることを3日でも4日でもとりあえす10年でも20年でも楽しく一生懸命に生きることだということを感じるんですよね。

鳥のさえずりなどをいいなと思うことも無かったけれど、
やっぱり変わっちゃうんですよ。

それから、子供、女房に対する考え方も、まあものすごく変わりますね。

国分 :病気になる前というのは?

西城 :やっぱり、亭主関白風だったと思います。
かんがえかたは。

それが、普段怒るところを、そうじゃなく聞く耳をもってあげたらどうなるだろうということを自分で試しだしてくるんですよね。

たとえば、マネージャーとやりあってもそうだし、女房とでもそうだし、なんで怒ってるんだろうなってとこから入るわけ。

国分 :自分でも驚く部分ありますか?

西城 :信じられないですね。

それは、年をとったからじゃないかなと思うんですけれど、やっぱり、
病気が大きいんじゃないかなと。

病気してからの折り返し点が変わってきた感じがしますね。

美輪 :いろんなものが見えてきたんですね。

西城 :そう、本当に。

国分 :リハビリを終えて、万全の体調に戻ったときに、
一番うれしかったことってなんですか?

西城 :自分が、子供と一緒に遊んでやれることとか、
健康でいろいろやれることですよね。

健康であれば、なにもいらないですよね。

国分 :些細なことがうれしいですか?

西城 :そう、コップをね、ここに持ってくることが、
普通は当たり前だと思うことが、当たり前じゃないということが経験しちゃったもんですから。

食べること、おいしいな。

つかむこと、素敵なことだなということを感じるわけです。

そのために、箸からずーっと練習をやるわけですよ。

美輪 :本当のしあわせというものは、
真っ黒のそばに黄色のものをおいても真っ白に見えるんですよね。

黒を知らないで、中途はんぱな黄色で来た人は、よこにまっ白が来てもその白の白さがわからないのね。

それと、同じでいろんな苦しみや挫折を知ると、なんでもない見逃してて本当はしあわせなんだけれど、
そのしあわせだということがわからないで、ひどいめにあってしゃべれるのもしあわせ、
見れるのもしあわせ、歌えるのもしあわせ、歩けるのもしあわせ、
だから、しあわせな人だらけなのね本当は、世の中の人は。

全部、しあわせだらけなの、だから、しあわせだとぜんぜん思わないのね。
見過ごしてると。

西城 :それを、やっと感じたの。

国分 :奥さんもp妊娠しながらの面倒を見るのも大変だったと思うんですよ。

西城 :僕には、話さないんだけれど、ものすごくうろたえたんだけれど、子供もいるし、そういう状況じゃないししっかりしなくちゃいけないと思ったらしいですね。

それがあるから頭、上がらないんですけれど、
それは、感謝してますよ。

国分 :もし、結婚してない状況では。

西城 :死んでましたね。
多分。

病気になったんですが、違うことも得ましたから。

こうやって生きなきゃいけないっていう。

やっとまともな考えになってきたところもありましたんで。
ただ、はやいうちに病気になっちゃったんで、
よかったかなと思ってますけれど。


西城さんにいろんな学びを与えた病との闘い

なんといっても、大切なのは予防です。




・予防法について

医師 :

高血圧、糖尿病、高脂血症とかの方は、もっともおきやすい方ですね。

それと、肥満、メタボリックシンドロームというものも気をつけないといけない因子ですね。

栄養バランスのとれた食生活、それから、十分な運動ですね。

それから、水分を十分摂取していただくということが脳梗塞の予防につながると思います。

西城秀樹さんはヒット曲が出る前に不思議な体験をした


先週の「オーラの泉」ゲストは、
西城秀樹さんでした。




・スピリチュアルチェック

小さい頃なりたかった職業はなんですか :
 ドラムミュージシャン

毎日かかさずすることはありますか :
 ウォーキングとストレッチ

なにか不思議な体験をしたことはありますか :
 幽体離脱もどき

いままでの人生で一番つらかったことはなんですか :
 父の死です

将来の目標を教えてください :
 いつまでも健康で歌えること


国分 :美輪さんとははじめてですか?

西城 :なんどかお会いしたことはあるんですが、
あまりお話しはしてないですよね。

もう、2〜3ヶ月ぐらい前から、(オーラの泉に)出たいなと急に思って、
何でそういう気になったのかわからないですけれど。

いろいろなことがあってそういう心境になったんでしょうね。

国分 :不思議な体験で、幽体離脱もどきとはどんなような。

西城 :疲れていて、本当に何も考えていない無の状態のときにおこったんですよね。

確実に心臓がどきどきしてるので、あれっと思って、
なんなんだって思ったら僕が下にいたんで。

あれ、これってなにかわるいれいかなって最初思いましたね。

美輪 :それは、どちらで。

西城 :自宅、マンションで、その後上に飛ぶんですよ。

風を感じてひたすら上で、怖いと思った瞬間、下に戻る。

なんだろうと思ってどきどきしている、
それで、なんだったんだろうって思って取り憑かれたと思ったから怖かったです。

美輪 :いつ頃です。

西城 :24頃ですね。

ちょうど『YOUNG MAN (ヤングマン)』が出るちょっと前ですね。

手を見ると金の汗みたいな。
光ってるんですよ。

美輪 :それは、覚醒して起きてからですか。
金粉が出たのは。

西城 :金粉が出たのは、幽体離脱が始まる前です。





ヒット曲が生まれる前に不思議な体験をする
 その訳は


江原 :西城さんみたいに、スピリチュアルな方はいらっしゃらないんですよ。

国分 :そんなに、どっぷりつかってますか?

江原 :人生さかのぼって今日まで、
本当に奇跡の連続みたいな方だから。

肌身でスピリチュアルを感じる方だと思うんですよ。

「自分だけの世界じゃないな。
  
  自分だけの意図じゃないな。」

っていうね、いろんなものが。

西城 :そうですね。

たぶん、そうだと思いますね。

江原 :すごく、強運な方なんです。

強運というか恵まれている。





1955年 広島生まれ

ジャズが好きだった父、三郎の影響で音楽に目覚め

小学5年生で、兄とバンド演奏を始めました。

高校時代、芸能プロダクションにスカウトされたものの、
父は猛反対、許しを得ないまま上京


1972年 「ワイルドな17歳」というキャッチコピーでデビュー


74年には、『傷だらけのローラ』で日本レコード大賞で歌唱賞を受賞

紅白歌合戦にも出場しました。

140万枚を売り上げた、『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』をはじめ次々にヒットを飛ばし誰もが認めるトップスターになったのですが、
それでも父は許してくれなかったのです。

国分 :お父さんがジャズをやってたんですか。

西城 :やっていたというよりは、趣味で好きだったんですね。

そんなに好きではなかったんですが、ジャズのギターがあったんです。
それをぼろぼろと鳴らしてたら、「どっか、音楽学校にでも行くか?」
というんで、
小学3年のときに、ジャズスクールに。

普通の子は、塾にいくんですけれど、行かしてくれたんで、
兄はピアノで、僕はギターで。

それで、はまっちゃって。

国分 :自然にミュージシャンになることが。

西城 :ロンドンに住むのが夢だったんです。

国分 :なぜ、ロンドンだったんですか?

西城 :ビートルズが現れて、高学年になってくると、わけもわからず音楽でご飯がたべられればいいやと。
そういう風に思ったんです。

国分 :お父さんはどうでした、そういう夢を持っていることに。

西城 :その頃、言ってませんから。

高校に入ってスカウトされたときに、
「ちょっと音楽の道に言ってみたいんだけど」っていったら、
そりゃもうバッシングで。

「お前は音楽で食っていけるのか」見たいね、ひどいことを言われました。

国分 :そうなんですか。
よかったなじゃないんですか。

西城 :いや、ぜんぜん。
ぜんぜん、反対で。

「そんなもんじゃ、生きていけないよ。
そんな軽いもんじゃないよ。」っていわれてから、
家から出してくれなかったですよ。

半分、家出みたいな形で東京に上京してきましたから。

国分 :お父さんを説得して、東京に上京したのではなく。

西城 :それは、無理ですね。

国分 :お父さん、ずーっと反対しっぱなしなんですか。

西城 :みんなにキャーキャーいわれても、
頑固として反対でしたね。

「帰って来い」。

ただ、後からわかったことは、だれよりも前に学校の前にポスターを張ったりとかね、応援はしてくれてたみたいですけれど。

里帰りすると、ファンのかたって来るじゃないですか。
何千人も来ると、「みんなかわいそうだからおにぎりを作ってやりなさい」っておにぎりを渡したぐらいですから。

それで、ケンカになっちゃうぐらいだから。

美輪 :目の中にいれても痛くないぐらいにめちゃくちゃに愛してらしたのね。

溺愛なんだけれど、それが溺愛にならないぐらいに自分でコントロールして昔風な親御さんね。

儒教というのがあったじゃないですか。
だから、そういう風な親の愛し方ですよ。

でも、おしあわせでしたね。

国分 :よくかんがえたら、僕の父親も反対してましたね。

13歳で、事務所に合格しまして、いろいろやってましたら、父親の方は反対してましたね。

西城 :そんなもんで、食べていけないだろう見たいね。

国分 :「キャーキャーいわれないよお前は」見たいなことを言われたのを覚えてますけれどね。



影で応援しながらも、歌手になる息子を認めなかった父

2人の別れは、悲しい形で訪れます。


国分 :そして、一番つらかったのがお父さんが亡くなられた時と。

西城 :そうですね。
もう、痴呆症になってるんですよ。

僕が、息子だというのがわからなくて、“ヒデキ”なんですよ。
西城秀樹のファンなんです、父親が。

もう亡くなるだろうなというのがわかってね、
最後のディナーショーでね、看護婦さんときたんですよ。

僕も、来年あたりしんじゃうなと思ってすごく泣いちゃって大変だったんだけれど。

その時、病院に戻るときにね。
エレベーターがちょっと閉まる前に、
「秀樹、結婚しないのか?」カチャ、
閉まっちゃった。

してなかったから、
今してね、子供も3人いるんだけれど。

国分 :それは、息子に言っている言葉なんですか?

西城 :じゃない、西城秀樹に言ってる言葉なんですよ。

ずーっとテレビをみてね、実家の方で応援してたんでしょうね。

痴呆になって息子の名前も、兄の名前も覚えてないんだけれど、
西城秀樹の“ヒデキ”は覚えてる。

もう、“ヒデキ”として応援してるんですよ。

国分 :立ち会えたんですか。

西城 :いやそれはね。
ドラマをやってて、その舞台のパーティがあるんで、それに出る予定だったんですけれど、
電話があって「ちょっと危篤だから、来れる」っていうんで、みんなに言って実家に戻りますって言って。

約30分ですね。

もう目はつぶってましたけれど、「お父さん来たよ」っていったらわかったら左手が上がるっていったらちゃんとあがってましたから、
来たことはわかっていたんですよ。

国分 :そこでは言葉は、何にもなかったんですか。

西城 :そうですね。

医者が言うには、「秀樹さんをずっと待ってらっしゃった」と。

僕は、行くとは言ってないんですけれど、
僕が行くまで、痛み止めをしないで待ってたらしいんですよね。

それが、ちょっと合いたかったんだなっていう。
呼ばれたなっていう感じはしましたね。



中村さんへのメッセージ


・中村さんへのメッセージ

江原 :この現世のなかでね、
自分が今になって気づいたとかいうけれど、
肉の年とたましいの年というのがあるんですよ。

肉の年というのは、この現世に生まれてからの実年齢。
肉体の年。

たましいの年というのは、要するに精神性の年齢なんですね。
精神年齢。

これもスピリチュアルなことで非常に不思議だと思うんですよ。

中村さんは、20代入ってすぐですよね。

中村 :22です。

江原 :でしょう。 若い。

美輪 :22、
まあなんて大人なの。

江原 :じゃあ、それはいろいろな経験をしたから?

じゃないと思いますよ。

これこそ、目に見えないことで、夢物語と思って聞いて下さい。

太一君が、気づいたといったけれど、それでも気づかないから何度も生まれて来るものなんですね。

いろいろ、あの手この手と立場を変えたりして、
そういうかつての経験が多い人が、若くてもすごく落ち着いていて物事の考え方も深く知ることができる。

美輪さん自信がたとえば年齢を重ねてね、今がある。
それだけではないから、4つ5つの時からいろいろと自分で判断でき、
本を読んだだけで理解でき。

だから、中村さんにおいてもそうで、
この世に無駄に生まれてくる人は、一人もいない。

みんなちゃんと意味を持って生まれてきて、だれもが祝福されている存在であるということ。

だから、一番大切なことは、自分の役どころをきちんと受け止めて、
そこから、立ち向かって生きることなんですね。

だから、真正面から卑下せず、個性でまず自分のことを自分が受け入れてあげなかったらねえ。




ちょっと話しがそれますけれど、
これは、本当に夢物語と思って聞いて下さい。

お母さんにくっついていたいがために生まれてきてるのね。

これは、不思議なんですけれどね。
お母さんをお母さんと思う現世の気持ちもあるけれど、
一人間としてずーっと分析してみてしまうでしょう。

小さいときから、すごくお母さんのことを人間観察していて、
現世の側では育ててもらっているから感謝。

精神の側では、いつも友達のようによりそってなぐさめてあげる存在。

中村 :今、びっくりしました。

すごくそう、大人の中で育っているせいかなと思っていたんですけれど。

美輪 :だから、ただ普通の子供がママ、ママとかお風呂とかいって親子の関係で成人を迎えてた関係ではないということ。

小さい子供と母親の立場であっても、心のなかでは、仕事で疲れて帰ってきた、いろいろ仕事もしている、そうすると親友の女同士。

大変ね、愚痴をいってもいいのよ、泣いてもいいのよって言って、
そういう感じでお母さんをみたりとか、いたわりの目で見たりもしてたでしょうといってらっしゃるの。

中村 :あの、助け合うのも同じ人間同士だから当然だろうという考えがあるので、そうしていたような気がします。






・中村さんの心のもうひとつの声

江原 :中村さんごめんなさいね。
こうしてでてるけれど、小さいときから、そういう個性とか関係なく、
お母さんを分析して支えてあげることはするけれど、
本当に人を好きになれずに、不振があるから小窓からちょっとのぞくぐらいはするから。

スピリチュアルチェックで人が好きおっしゃってたでしょう。
あのときから、「違います、違います」っていうのが聞こえていて、
それでいて、自分のことが自分で嫌いだって。

まず自分を好きになりなさい。
原罪意識がある、
なんか、罪のある自分から考えていく。

中村 :そうですね。

美輪 :人間いろいろもってるのね、原罪意識を自分の中に。

江原 :人の心を理解していく、そして氷が解けるように心を溶かしていくということ。

好きな人を追いかけていくのが楽しいとおっしゃっていたけれど、
それは心の空想の中で追いかけてるのが楽しいんです。

中村 :なるほど。

江原 :現実に追いかけるのが怖いというか。

中村 :そうですね。
いわされていたのかな、私も。

もちろん自分もすきなんだけれど、
そんな人とのかかわりが嫌な自分でも、
人を好きだと思うことから逃げられない、
自分が好きだというそういうことだったのかなと思います。

人とのかかわりをゼロにしてしまうことができない、
そういう正直さがどこかにあって、そういうのをみたんだと思います。

美輪 :それで、歌が出来るんですよ。

そういう葛藤がなかったら歌なんかつくれません。
また、歌えません。

江原 :それだけ強い思いがあるから伝わる。
人にね。

中村 :なるほど。

江原 :だからそれをひとべらしみたいになれといっているんじゃないんですよ。

音楽を通してそこに人生哲学を得て、
より理解してうちに変えていく。
そうすれば、なにも怖いものはない。

恐れをなくしたときに恋愛じゃなくて、愛するような。
恋愛と愛は違いますから。

どうしても恋愛は、自分を守ろうとする自分を愛する心。

愛とは、相手を愛すること、そのときの恐れはなんにもないですから。

中村 :恐れ入りました。

江原 :それをできるようになったら、自分の全領域に人を入れることができるようになりますよ。

あと、自分のもの。

あのね、ある意味すごくアーティストだからセンシティブなんだけれど、
これは人に触れさせないものがある。

なんでもないものなんだけれど、これは心許す人じゃないとさわらせらせないとか、生活の中で。
もすごくても、こっから先はダメ、入れませんていう。
お家でもなんでも。

お家の中に入れる人も特定になってるし、最後のところはね。

それが、ちょっと不自由な感じになってますね、見てみると。

だから、なにも恐れなくていい本当の自由を得ることを学ぶ歩む中で関わってくるんですね。

中村 :いろんな人たちに触れ合って、
一番近くにきてくれる人は、その人は愛する人であってほしい。

江原 :そうです、なりますよ。






○自分を好きになれば、人を好きになれる。
心を開けば、もっと自由になれるのです。


江原 :メッセージがあってね、
これからが大変ですよと。
正念場ですと。

今は、こうやってご活躍されているけれど、
まだまだ、本当の理解ではないと。

ですから、そういった意味では、本当の理解ということを深めていく。
求めていくとともに、
ご自身がアーティストとしてより思いを込めていかなければいけない。
力を発揮しなければいけない。

ただ、ここ最近、自由を失っていることへのね、恐れが芽生えてきているようなことをメッセージでありましてね。

要するに、今までは、もっと心のまにまにいろんなことをチャレンジしたり、探求したりするんだけれど、どうしてもやっぱり、
ここまで活躍するとなんとなく型にいれられてしまうところがあるんですよ社会の中では。

だから、その中でもがいてね、本当の自分自身をどうやって発揮するかどうかっていう戦いではまったくないんだけれど、
ある種、自分との勝負なのかな。

中村 :そうですね。

江原 :うん。 でも、それは必ず脱却する日がくるんだと。

だから、そのことだけを心にとどめて歩んでいってくださいというメッセージがあるんですよ。

中村 :望むところです。

江原 :だから今日は、映画でいう予告編をご覧になりにきたようなもんです。

中村 :まだ、放送してなかったんですね。

国分 :放送したらまた、ぜひ来てくださいね。

中村 :もちろんです。
放送しましたと、現れます。


○今までは、予告編、
これから、自分との勝負が待ち受けているのです。



国分 :いかがでしたか?

中村 :人生、望むところだというところですかね。

国分 :覚悟じゃないけれど、やってやるぞという気持ちになりましたか。

中村 :肝がすわりました。

国分 :自分を好きになってなかったんだという発見ももしかしたらあったかもしれませんね。

中村 :それは、言い当てられたな、一本とられたなというところでした。

国分 :でも、しっかりしてるよ。

びっくりしました。
僕、今日の話、6割ぐらいしかわからなかったです。


中村さんが作った歌詞は多くの共感を呼ぶ


心と体の性の不一致を公表した、
中村中さん

それはかつて、美輪明宏も歩んだ道なのです




国分 :すごくおもうんですけれど、小学生のときにこの重いテーマで悩む子っているわけじゃないですか、
今でも。

美輪 :だから、それを言い続けて、戦い続けてきたの。

それで、自殺したり、殺されたりした人がどれだけいるか。

もおみんなかわいそうで、あわれでね。
だから、わたくしは、オカマというのはね、
そういう差別語、侮蔑語をなぜ取り締まらないというの。

そのオカマという言葉でね、小学生やなにやでね引きずりまわされて、いじめられて、自殺しちゃった人がどれだけいるの。

それを、受け狙いで、
「私たち、オカマはね。
オカマはね。」って卑下していやしめていう馬鹿がいるんですよ。
TVに出てる連中でも。

そいういのを私はゆるさないというのよ。

国分 :美輪さんの小学生の頃というのはいじめらるようなことがあったりしたんですか?

美輪 :それは、オカマだとかおとこおんなだとか言われましたよ。

国分 :どうやって乗り越えていったんですか?

美輪 :そういうレベルの低いことをいうのは、動物的な連中で頭が悪いただ腕力だけが強い馬鹿な連中が多かったんですよ。

頭が良くて、人格的で立派な人たちというのは、
逆にかわいいかわいい綺麗だ綺麗だって言って、ほめてくれてたの。

だから、私は、逆に馬鹿にしてたから。
相手にしなかったの。

国分 :中村さんの小学生時代はどういう感じでしたか?

中村 :そっくりとまではおっしゃれないですけれど、
やっぱり、似ているなと思ったのは、自分に必要なものだけを見てすごしていたので。

もちろん、いろいろ言われて。
まあ、変態あつかいもよくされましたけれど、
そういう部分にばかり目を向けていたら、
人生を途中であきらめていたかもしれないんですけれど。

とにかく、好きな歌があるということ、
そこだけを考えていたので、
まさに、勉学に励むとかそういうものでしたね。

自分のために、自分をしつけるというか。

国分 :僕は、多分、最低な人間だと思うんですけれど。
僕は、小学校の頃に多分そういう子がいなかったと思うんですよね。

同級生で、でも、多分いたらちょっと変な目でみちゃうと思うんですよ。

「お前なよなよするなよ、男だろ」って言っちゃうタイプなんですよね。

でも、それはなんだろう、受け入れるとか、受け入れないとか、
自分の中で子供たち判断しちゃうじゃないですか。

美輪 :でもね、そういうことを言っていじめる子は大体、劣等感のかたまりなの。

自分に自信のある子は、人をいじめたり、貶めたり、馬鹿にしたりしませんよ。

優しいの、みんな優しいのよ。

コンプレックスのかたまりみたいな子がなにかいじめる材料を探すの。

国分 :ということは、僕はそうだったわけですよね。

美輪 :あら、そう。

江原 :みんななにも考えてないんですよね。

たとえば、テレビを見てるお子さんたちの中でもね、
中村さんと同じような子がいるとしてもね。

考えて欲しい、伝えて欲しいのはね、
男のくせに、女のくせに、
男の定義はなにって聞きたい、女の定義はなにって聞きたい。

およそ、非難する人たちはいえないはずなんですよね。
「お、男だからだよ。」っていっておしまいのはずなんですよ。

中村 :確かに、大人になってくると、昔は通じなかった気持ちとかが少しずつ通じてきたりするじゃないですか、するんですね。

それは、やっぱり私をどう表現するか、どういう風に気持ちを人に伝えていくかということがだんだん確かになってきたというのがあるんですけれど。

周りの人たちというか、身近な人たちですけれど、
少しずつ自立していくことによって、自分は自分という一人の人間だ。

そして、彼は彼という人間、彼女は彼女という人間、あの人はあの人、
そして、私は私という風に人間性が確立されていってからは、
君はそういう個性だよねって受け入れてもらえる。

私は、たとえば昔のクラスメートであったり、私を非難してきた人たちに、憎しみの目は向けれないんですよ。

きっと私以上にもろかった人もたくさんいるだろうし、
きっとわからなかったということもあると思うんですよ。

どうして、いいかわからなかった。

時間をかけて、そういう風にだんだん世界がまるくなっていくのであれば、私はすごくいいことだと思うし。

国分 :なんていい子なんでしょうね。
なかなか、いえないですよ。

江原 :私なんかも、若輩ですけれど、思うのは、
生きるということは、
『無知を知に変えること』だとおもうんですよね。

一個一個を知ってゆく。

人を傷つける痛みがわからないからできること。

中村 :怖いもの知らずということで。

江原 :傷つく痛みを知ったなら人を傷つけなくなる。

中村 :人の痛みを知ると、はい。

江原 :だから、それが出来る人は知らないんです、まだ。

残念ながら。

中村 :そうですよね。

国分 :僕、最近のような気がするんですよね、それに気づいたのが。

中村 :すばらしいじゃないですか。

国分 :ありがとうございます。
反省しなきゃ。

美輪 :60になっても、70になっても気がつかない人がいますよ。

その若さでまあ、気づいたら優秀ですよ。

国分 :そうですね、もっと若いうちに気づいておけばよかったなじゃなくて、
今、気づいたことがすごいことであって、一生気づかないで死ぬ人がいるの。

国分 :そういう人かわいそうですね。






自分が傷ついたらわかる、
中村さんの歌は多くのアーティストに注目されてきました。



■戸田恵子のインタビュー

彼女独特の世界観というのがあって、
中ワールドというものを持っていて、
それが、ドキッとするワードだったら、センテンスだったり、一文だったりするんですけれど。

なんか、いままですごく傷ついて生きてきたところもたくさんあるでしょうから、
なにか、人の痛みみたいなところにすごく敏感な詩であったり。


中村さんと同じ悩みを美輪さんは中学で解決


・中村さんと同じ悩みを美輪さんは、どう解決したのか

美輪 :自分だけがその性癖がある、
それを自分だけがおかしいのかしらとか。
周りが、そういう人がいないんだろうかとか、
いろいろ調べたり、比べたり。

たとえば、わたくしが、小さい頃にわかったんだけれど、
それは、隠す必要もないし、開き直ってたんだけれど。

それを、中学のときに図書室の係をやってたんですよ。

そしたらね、ギリシャ神話の本があってね、
アポロというハンサムなイケメンの神様とヒヤキントスというヒヤシンスになった神様と人間のハーフの男の子がいるの。
絶世の美少年が。

それが愛し合って、ゼフィーロスという風の神がやきもちをやいてアポロのそばにあった円盤を投げつけてその少年が死ぬんですよ。

その少年が、アポロが泣いて私の胸の中でいつまでも生きておいていておくれというと、ファーとそれに答えるように血の中から咲いたのがヒヤシンスの花なのそれを、
えっ古代から当たり前にあったんだということがわかったのと。

そして、全部調べたのよ、日本にもないのかしらって調べたら、
日本の中にもでてくるのよそれが。

だから、私は、卑下したり泣いたり、騒いだり、コンプレックスになる必要はないガーンと胸を張っていたの。

国分 :それはすごいですよ。

自分で見つけて、あっそういうことだったんだって言える美輪さんは、すごいですよ。

中学生の頃の僕の神様とかは、マラドーナしかいなかったですからね。
ちがいますもん、みてる神様とかやっぱり。



○絶世の美男子の神アポロンが愛したのは、美少年ヒワキントス、
二人に嫉妬したのも男性の神ゼヒュロス。

幼い美輪の疑問に答えてくれたのは、ギリシャ神話の世界でした。




♪ 触れるまでもなく先のことが
    みえてしまうなんて
  
  そんなつまらない恋を
    ずいぶん続けてきたね




2006年 中村さんは、セカンドシングル『友達の詩』を発売。

そして、自分が性同一障害であることを公表し、
ドラマにも出演。

現実とオーバーラップする役を演じたのです。

昨年は、紅白歌合戦にも紅組から出場、
確かな存在感を印象づけました。


中村さんが公表した、心と体の不一致、
 江原はその呼び名に異議を唱えます。




江原 :私ね、いつも思うんですが、実に違和感を覚えるのが、
中村さんが自分のことをカミングアウトなさったというんだけれど、
性同一障害の障害という言葉を使わなきゃいけないのかというところがね。

それは、すべての障害に対して思うんですよ。

言葉が、適切じゃないかもしれませんけれど、弱者とかそういう立場なら助けてあげようという、心が芽生えてるのがいやなんですね。

障害者って認定されれば、それは非難されることではなく、それこそ手を差し伸べるべきだと。

私は、いつも申し上げるのは、この世に無駄な人は一人もいなくてですね。

個性、個性なんです。

いろんな個性の人たちがみんなで生きてて、
だから、それを助け合うのが当たり前のことで。

だから、障害という言葉で、下の立場をつくって手を差し伸べる、
これは、傲慢さを生むことだと思うんですよ。

さまざまな個性の人たちがいて、そういう個性の人たちを補い合う。
短きを助け合う精神に行かなきゃいけない。

あの言葉がつくがために、私は手を差し伸べてはいけないと言っているんではないですよ。

そうではなくて、みんなで認めあうことが大事で。

私は、中村さんにひとつお伺いしたいのは、障害という言葉がつくのはどうかなと。
どうしてもそういう紹介をされてしまうでしょう。

中村 :そうなんですよね。

いやですね。

もちろん、いやだという反面、
一応事実であるということが、こう...ボヤッとはさせたくないんですけれど。

江原 :現世における認識のために。

中村 :はい。
認識のために。

美輪 :私はね。

病気だという言い方をするのは、おかしいですよということを言いたいですよね。

病気じゃないんですもの。

そうでしょう。

たとえ、病気だとしても、なんか犯罪でもあるような認識をもってるじゃないですか。

菌がうつるんじゃないかとか、おかしいんじゃないかとか、
変態じゃないかとか。

病気の人に失礼じゃありません。

中村 :みなさん、変態ですもんね。

美輪 :そう、そう、そう。

国分 :すっきりした、なんか。
隠さなくていいんだ、僕、変態ってことを。

江原 :じゃあ、多数決ですかってことなんですね。

美輪 :こいつ変態だとか、あいつ変態だとか、言ってる人が、実は、
中の内面に入ってみるとド変態だったりするんですよ。
そういう人多いのよ。

江原 :そのとおりです。
自分の中にあるものが、気になるものです。

美輪 :正当化することによって、自分は、まともだと思いたいっていう卑劣な。

まともな人が、そんな言い方しませんよ。
自信があるから。




中村中さんが体験した不思議な体験の理由


今週の「オーラの泉」ゲストは、歌手の
中村中さんでした。


中村さんは、性同一性障害で、戸籍上の性別は男性ですが、
精神は女性で外見も女性です。




・スピリチュアルチェック

ちいさいころ好きだった曲はなんですか :
 ウインクさんの淋しい熱帯魚

自分の好きなところ嫌いなところを教えて下さい : 
 好きなところは、ひとなつっこいところ、
嫌いなところは、臆病なところ

もっとも腹が立つのはどんなことですか :
 同じ人間なのに、人が人を裏切れること

なにか不思議な体験をしたことがありますか :
 小さなころはよく歩いて街灯を消してしまいました

想像して下さい、あなたはとても今楽しい気持ちです
なにをしていますか :
 好きな人を追いかけています







・不思議な体験の理由

中村 :私は、ヨイトマケの唄がすごく好きで、
働きにでているお母さんの唄じゃないですか、
私のお母さんも女でひとつで私を育ててくれたのであの唄を聴くと感動してしまうんです。

美輪 :親孝行でいらっしゃるのね。

国分 :不思議な体験で、子供の頃に街灯を消したなんて経験をしてましたよね。

中村 :なんでしょうね?

街灯が点いてますから夕方なんですけれどね、
自分の歩くタイミングで、パンと消えたことがあって、
それが何回かあって。

国分 :これは、電気体ですね。
これはよくでてくる、こういうお仕事をしているかたは本当に多いんですよね。

中村 :詳しいんですね。

国分 :僕は、これ以上はわからないんで。
お二人からいろいろとどうぞ。
どうなんでしょうかね?

美輪 :いや、そのとおりですよ。

江原 :そのとおりですね。
うちに秘めた人が、そういう思いが飛びやすいんです。

エネルギーが。

美輪 :だからね。
中村さんは、歌い手でらっしゃる。
歌い手には、それが必要なんですよ。
ステージに立つでしょう。

そしたら、うつくしい思いとか、想念とか、そういうエネルギーを全部お客さんに伝えるわけだから。





♪ 父ちゃんのためなら エンヤコラ
   母ちゃんのためなら エンヤコラ
    もうひとつおまけに エンヤコラ


子供の頃に 小学校で
 ヨイトマケの子供 きたない子供と
    いじめぬかれて はやされて
 
 くやし涙に くれながら
    泣いて帰った 道すがら
 
 母ちゃんの働く とこを見た


1985年  東京生まれ

母の影響で、小さい頃から歌謡曲が大好きだったという中村さん。

独学で勉強し、15歳のときから、作詞作曲を始めました。

そして、自分の性に悩み始めたのもこの頃でした。




国分 :子供の頃から、本当に歌が好きだったんですか?

中村 :そうですね。
歌も、好きからはじまったものですね。

国分 :ウインクさんの歌が好きだと。
振りもまねしたりしたんですか?

中村 :しましたよ。

国分 :必ずやりますもんね。

ということは、子供の頃から音楽は、流れているお家だったんですかね?

中村 :そうですね。
TVから情報を得ることが多かったですね。

美輪 :楽器は?

中村 :楽器は学校に行ってからです。
小学校、中学校ぐらいからです。

美輪 :それはお家で買ってもらったの、前からあったんですか?

中村 :家に楽器は無かったんですよ。

ピアノをまず最初に始めたんですけれど、
学校にあるピアノで、先生に教わりながら、
独学で、レッスンとかを受けたことがないんですよ。

楽譜を読むのを覚えるところからやりました。

美輪 :自分で、独学?

中村 :見よう見まねで。
それで、弾ける友達が近くにいて、その子の指を見て。
あと、耳で覚えるじゃないですか。

同じ音じゃなかったら、間違ってるかなって風に覚えて。

国分 :和音もそれで弾けるようになったんですか?

中村 :そうですね。

なんか、感覚でですけれど。

国分 :すごい。
いまだにわかんないです俺。

僕も独学なんですよ。
先生が、指の使い方を一から言われたら絶対に怒られるような指の使い方をしてると思いますね。

お母さんが音楽が好きだというのは、本当に大きいですかね?

中村 :そうですね、鼻歌で歌っているものを聴いて。

美輪 :どういうものを歌ってるの?

中村 :私、研ナオコさんの「泣かせて」という歌を母に教えてもらってから、歌謡曲の魅力に引き込まれていったかな。

「泣かせて」っていう題名で曲を書いちゃうなんて粋だなって思って。

私、歌詞をよく読んでから歌うことにしてるんですけれど、
「悲しいことっていうのは、どんなに化粧をしても悲しいんです。」っていう小椋佳さんの歌詞なんですけれど。

すごくいじらしくて、こんな風な女性像があったんだなって思って、
何年か前は。

国分 :自分の性に違和感を感じたのもそのぐらいですか?

中村 :そうですね。
ちょうど、声変わりをですね、した頃だったと思います。

美輪 :そしたら、14、5。

中村 :そうですね。

美輪 :ずいぶん遅かったのね。

中村 :そうですね。
もともと、異変には気づいていて、あまり認めたくなかったんで、
あまりしゃべらないようにしたりとか。

それまで、すごく歌が好きだったんですけれど。

美輪 :でも、男の子として、男の子の形で声をだしたりとかされたりはされてたんでしょう。

中村 :そうですね。
制服を着て。

国分 :小学校の頃は、自分の中で何か違うなと思ってたりしたんですか?
認めないだけであって。

中村 :そうですね。
やはり、なにかいけないことをしているんじゃないかと思ったり、
そのときは思っていたみたいで。

なにか、人を愛するのに自分じゃなにか足りないんじゃないかって思っていた時期がありました。

美輪 :小さい頃は、みんななんとかちゃん好きとかいうときに、男の子だったりとかするわけでしょう。

思春期は、同性だったり異性だったりを好きになって、それを卒業してから異性愛に変わるわけじゃありませんか。

だから、そいうことはどうだったんです。

中村 :きっと私は、男性のことを異性だと思って接していたのだと思うところがあるんですよ。

美輪 :好きな方いらしたの?

中村 :たくさん恋をしているので。

美輪 :浮気者なのね。

国分 :一番最初に告白したのは小学生ですか?

中村 :小学生です。
小学校5年生、6年生の頃です。

美輪 :おそいわよ。
私は、4つか5つのときだから。

告白もなにもめちゃくちゃかわいがられてたから。

国分 :中学校の頃とかに思いを伝えるとかやってたような気がするんですけれど。

中村 :やっぱり、気持ちは止められないんでしょうね。

美輪 :それは、うまく行ったんですか、失恋だったの?

中村 :失恋でした。

美輪 :それは、残念でしたね。

初恋は、破れるもんなんです。

中村 :そうですよね。

最初にいい思いをしてしまうと、後から怖いじゃないですか。

私は、失恋でよかったなと思いましたけれど。

初めは失恋だったから次は、じゃあまた次は、次は、ってやっていて今みたいな感じですね。

美輪 :それは、他の同性愛の人にも言いたいんだけれど、
自分が同性愛だからね、好きな人に告白して、やっぱり自分はおかしいんだとね。

自分で、自分を差別してみたりね、貶めてみたり、
同性愛だからって考える人が多いんですよ。

それは、大間違いでね。

たとえ、異性愛の人でも失恋はするんですよ。
向こうがタイプじゃないだけで。

そうでしょう。

だから、異性だと同性だと思うところを捻じ曲げてひっかけて考えないほうがよろしいんじゃないですかというの。

国分 :でも、小学生のころは、そこで悩んだりもしたんじゃないですか?

中村 :同級生の会話するツール言葉なんですけれど、どういう言葉で接したらいいのかとか。
そういうものにすごく悩んでいましたね。

美輪 :男の言葉と、女の言葉という意味ね。

でも、最近は、女の子も男の言葉でしゃべってますよ。

中村 :そうですよね。
そういえば、確かに。

国分 :そのことをだれかに相談したりしたんですか?

中村 :なかなか、出来ませんでしたね。

国分 :お母さんには、どうですか?

中村 :母は、その頃すごくがんばって働いて私を育てていてくれたので、
なかなかそういう、今となっては、なにを遠慮していたんだと思うんですけれど。

なにか、そういう苦労をかけてはいけないような。
母が、なにか背負ってしまうんじゃないかと思っていたところがあったので。

美輪 :やさしいんですね。

中村 :ありがとうございます。
これは、やさしいのでしょうか。


































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