山本さんへお父さんからのメッセージ


・お父さんからのメッセージ

江原 :お父さんはね、ものすごく親孝行な息子っていうんですよ。

競艇だけじゃないって、いいっていうのにいろいろ送ってくるは、
いろいろしてくれるそういう自慢の息子ですって言うんです。

楽にしてくれるという約束をちゃんと守ってるっていうんですよ。

だから、約束を守る男であるということをお父さん自身は認めているし、
夢物語として聞いていただいていいんですが、
お父さんは体のこととか微に細に助けてくれているんですよ。

腰とか間接とか山本さんやられるんですよ。
それをね、どういうわけか仕事に支障がないように直るんですよ。

山本 :3日前から腰を痛めてるんですよ。
でも、仕事は出来るんですよね。

江原 :お父さんは、自分の反省点としてまったく自分の体に気を使わなかった人なんです。

それを、お父さんの中で反省としてあってね、それを息子に繰り返させてはいけないと。

それで、座りすぎに注意しろと言うんですよ。
座りすぎとはなにかというと、長いマージャン。

これは、時間があったらエンドレスなんですって。
あの姿勢で、長く座ってたらそれは悪くなると。

まして、独立をしてということであるから、
ごめんなさいね。

独立ということはいいことであって、
偉いのが、度が過ぎれば奥さんいやな顔をするんですよ。
でも、ほとんど野放しなんですよね。

自分で稼いだ範囲でちゃんとしなさい、最後の責任とか落とし前とか、
そういうのはちゃんとつけられる人だと思ってるから。

ただし、「どうしようこんなにつかっちゃった」って言ってくるときがあって。

山本 :なんで、そんなのがわかるんですか?

江原 :それさえなければいいのにと奥さんは思うらしいんですよ。

要するに、自分の甲斐性の内でけじめをつけといてくれればいいんだけれど、
最後にどうしようというときだけ。

山本 :そういうことが、なんでわかるんですか?
おかしいじゃないですか?

あのね、大体、競艇はその日のキャッシュでやるほうなんですよ。

だけど、どうしても地方とかがおおいもんで、
地方でもやりたいときがあるんですよね。

それが、つもり重なってある方に借金するんですよね。
あるときに返すからっていって溜まってるとそれをうちの女房が知っちゃうんです。

それを、全部返してくれるんですよ。

江原 :でも、それを全国に拠点をお持ちのようですね。

山本 :あの、競艇場は24箇所ありますので。

江原 :そういうことを含め、お父様が全部話してくれるんです。

だから、そうやって何でも見てるということなんですね。

山本 :それは、すごくうれしいですね。

美輪 :ありがたいことですね。




・お父さんの訪問

山本 :亡くなって一回家に来ているんですよ。

それが、僕には見えないんですよ、残念ながら。

美輪 :奥さんと娘さんが見てる状態。

山本 :ええ。 「お父さんが来たよ」って。

「うそやろがー」って。

これ本当に不思議なんですけれど。

お父さんが出てきて、これは本当に素晴らしい金粉の服を着ている。

それで、かみしもに白い服を着た人たちは絶対顔を見せないんだと。

それで、私に「譲二が私のめがねをもっとるから、悦子探して欲しい」って。

「お父さんのめがね持ってない」って、「いやないよ」って。

「いや絶対あるはずよ」って。

半日かけて探しました、あいつが。

そしたら、それを女房が見つけるんですよ。

江原 :それは、どれぐらい前のことですか。

山本 :去年ぐらい前ですか。

江原 :それは、ただ、めがねのことを当てさせているんじゃないんですよ、そこにはメッセージがあるんです。

それは、お子さんの目のこと。
それこそ、視力があまり強くない。

それが、「大丈夫、自分が目になるよ」、自分が目の代わりになって守ってあげるよということを伝えたかったの。

山本 :あの、このTVを見てうちの長女びっくりしてると思います。

視力はやっぱり強くないです。

江原 :だから、大丈夫だよと、おじいちゃんが守るので、気後れすることはないって。

国分 :長女さんは小さい頃から目はよくなかったですか?

山本 :いや。
1年検診、2年検診、3年、4年とまったく脳の障害も目の障害も何一つひっかからなくて、
それだけで、親孝行な娘だなと思い続けてきて、ある日突然勉強し始めたんです。

それで、成績がものすごく上がったんです。
そのときから、視力が衰えちゃった。

江原 :生活環境とあると思うけれど、どっちかというと弱いんだと思うの。

だから、普通の人よりちょっと度が進みやすいと思うのだから、そういうことまでも先に伝える。

だから、なんでめがねなのか、そこにはメッセージがあるんです。

山本 :それが1時間2時間じゃないんですよ。

半日かけて、「ある、絶対ある」って言い続けて。
それで、もってきたんですけれどね。

今は、肌身離さず、セカンドバッグに入れて、
なにか読むときはしてますけれど。

江原 :お父さんも実感でき、何年もかかってそのメッセージも紐解き。

山本 :昔、蚊帳をつって入って寝るじゃないですか。

親子四人で寝るんですけれど、咳払いひとつも出来なかった子ですから。
ゴホンとしたら「まだ起きとるんか!」って感じの父さんです。
なにかあると、バットで殴られたりとか。

その父さんが嫌いになって、みちのくが売れて、何年かたって父さんが病院に入るこいち年前に初めてほめてくれたんですよ。
僕を。

「譲二、わしは本当にええ息子を持った」って。
「父さん、なん言いよるんかね、気持ち悪いわね」って。
「そんなことを言わんでわしのいうことを聞いてくれよ」って。
「そりゃ、下関にも金持ちはたくさんいる、だけどなたけちゃん」って。
「どうやったらええ子に育つのかって、わしに相談くるんど」って。
「そのときにそのときに、わしは勝ったって思った。
それがうれしい」って。

生きてるときに、「譲二、墓を立ててくれ」って言われたんですよ。
「胸くそわるいね」
「ばか、そのほうが長生きするんじゃ」って。

それで、母さんと墓を見にいったことがあります。
「ここに立ててくれ」って。
「わしが死んだらここに眠るけの」って。

本当に死んじゃってものすごくさびしいんですけれどね。

美輪 :そこに立てたの。

山本 :はい。

美輪 :よございましたね。
でも、素敵なお父様で。

江原 :いまでも自慢の息子さんですものね。

山本 :先ほどおっしゃられた、自慢の息子だと聞いて、
久しぶりに親父と話しが出来たようで、とてもうれしいです。



山本さんには、もう一人親父と呼ぶ人がいます。

言わずと知れた、演歌の大御所、北島三郎さん。


昨年、独立して自分の事務所を構えた山本譲二さん。
今再び、人生の転機を迎えたのです。

国分 :独立のきっかけというのはなんだったんですか?

山本 :30年間勤めあげたときに、
親父が住んでらっしゃる八王寺の家に行ったんですよ。

それで、初めて親父に言ったんですよ。
「親父、親父のそばで30年お世話になりました」って。

「親父のかさの中で、山本譲二という事務所を立ち上げるのは間違っていますか?」って聞いたら、
「いいことだ。」って親父は言ってくれました。

「ただし、その発表は俺の口から言いたいから発表は俺に任せてくれ」っていいました。

それで、2年たって32年が過ぎて、45周年を親父が迎えたときに
45周年の舞台の上で、「山本を来年独立させます。
今まで以上の支援を皆さんどうか山本に応援してやってくれ」って。

それを、親父の後ろで自分は聞いていたんですね。

国分 :北島さんのところを離れるというのはどんな思いで。

山本 :親父はね、「独立してがんばれないお前だったら独立はさせん。
でも、お前だからできると思ったらさせるんだよ」と。

「だから、がんばるんだ、がんばるしかないんだよ

さみしいお前はみたくない」と言って送り出してくれました。

だから、常に前向きで明るくと、それと同時に歌える喜びというんですか、
それと、歌って歩いてるんじゃない。
歌わさせてもらえてるいるんだという気持ちがすごく強くなりました。

美輪 :それと、余計な差し出がましいことを申しあげるようですけれど、
独立なさったでしょう。

昔は、親方日の丸でしたよね、今度は独立なさったら一国一城の主ですから、そしたら家のことや家族からそういったことの責任が生じますよね。

そうしたら、今までみたいな賭け事やなにかで無駄使いをすることは許されませんよね。

山本 :はい。

美輪 :そうすると、つまり、自分のためにもなりますし、
なんのためにここにお出ましになったかといいますと、
それを引導を渡されるためにでていらしたのですよね。

国分 :最後に大きなメッセージが。

山本 :おっしゃる通りだと思います。

たくさんの方が見ている前で、約束しますよ。

今日で、やめますよ。

国分 :競艇に山本譲二さんを見つけたときは「あっいた」といってください。

山本 :いや、こういうときですから。

自分でももう、控えなければいけないなという気持ちにはなったんですよ。

美輪 :それがなければ、今までのどれだけ財産を残しているかわからないですよ。

江原 :いや、それはそれは、お父さんもみんなそうおっしゃる。
もう、大変な財産。

山本 :私もそう思ってます。

競艇場では歌いますよ。 仕事が来れば。

でも、バクチのほうは、この場での約束ですから。




山本さんの不思議な体験


結婚すると2人は、最初の子供を授かりました。

待望の妊娠、それは新たな試練のはじまりだったのです。


江原 :これは、不思議なことなんですけれど、
おうちに帰られてから奥様に聞いていただきたいんですけれどね。

この奥さんてね、生きているのが不思議な人なんですよ。

それと、お小さいときも命を落としそうになったことがあったんじゃないかと思うんです。

それと、お子さんを授かって産むときもそうなんです。

お子さんもお子さんで、生まれて出てきてるのが不思議なくらいなんです。

このお母さん、お子さん二人とも命をもらってる人なんですよね。

それだから、不思議な力をもっているというのはね、
あるしゅ人間であって人間でないところがある。

その証拠にね、なんのとらわれもないんです。

あの人にこう言われているよといっても気にならないんです。
自分の目で見て、いいかどうかだけだし。

表面で、絶対ものを見ませんでしょう。

山本 :そうですね。
うちの長女は、726グラムで産まれたんです。
それで、「脳の障害と目の障害は絶対ありますからそれは譲二さん覚悟して置いてください。」そういわれて、
この子はいらんって行ったんです。 自分。
こういう弱い子はいらんと。
「わしゃ、たまのような元気な子がほしかったからこの子はいらん。」

そしたら、看護婦さんが入ってきて、
女房のお腹にベルトのようなものをつけたんですよ。

それと、同時にどんどんどんどんどんって音が聞こえてきたんですよ。
これは、看護婦さんなんの音ですかって?聞いたら。

いや、子供さんがんばってますよ、これは、心臓の音なんですよって。

それを聞いたときに、おれえっちゃんになんてことをいったんだろ。
お医者さんにたぶんあいつがんばりますから、
この子をなんとか産ましてくださいと。

それから、点滴がはじまります。
羊水がないわけですから、破水して、その代わりのなるのを下から入れて、
今まで、破水したかたでがんばったかたは何日ですか?
って聞いたら、8日間だって。
それが、最高ですって。

だけど、15日間がんばってくれたんですよ。
もう針をさすところが無いんですよ。
血管が痛んで、あいつここに(頭の血管)入れてくれって言ったんですよ。

えっちゃんもおええって、がんばったよって。

そおかな?って。
もう動けなんですよ、健康な体だったのに15日間も寝てるともう動けないですね。

それで、抜いた瞬間にもう陣痛です。

それで、産まれて来たのが725グラムの子供でした。

江原 :だから、与えられた命というのもあるし、お子さんを見てもあたれられた命というのがある。
だから、奥さんもいつも言うと思うけれど、
「いつもしあわせでいよう、笑顔でいよう」ってね。

山本 :そういうの大好きです。

江原 :だから、みんなからすかれるということのもうひとつにね、
ひとにダメねとか、一切、言わない人なんです。

生きているだけで、素晴らしいことだということを一番知っているわけですよ。
今日一日生き延びて、偉かったねって思いがある方なんですよ。

であったときに、阿弥陀如来だったっておっしゃったけれど、
本当にそういうかたですよ。

寛大、浮気しても怒こったりじゃなくて、おいたがすぎますよって程度だと思うんですよ。

美輪 :この方はね、いろんな人間がいるでしょう。
地球には、それで、洗練された垢抜けた人間になるためにみんな努力してるわけじゃないですか。

一番洗練された、進化した人間はどういう人間かというと、
自分の感情をコントロールできる人間なんですよ。

みんな感情をコントロールできなくて、泣いたりわめいたり不平不満で、気がつかないうちに人間は感情で動いているんですよ。

うらんだり、憎んだりの感情はいらない、
うれしかったり、喜んだりしたときに感情を使いましょう。

その感情の使いわけが出来るようになるために技術とか理性とか、何度も生まれ変わらないとそれが出来ないんですよ。
でも、この方は感情で押し流されたりとがない方なんですよ。

できませんよ、なかなか、めずらしい不思議な方なの。
お嬢さんもそんな方なの。

江原 :ひとつ申し上げちゃっていいですか、すいません。

この奥さんとお子さんがいなかったら、今の山本さんはなかったんじゃないかと思うんです。

やっぱり、お子さんが大変な時って、金銭的なことを考えましたものね。
先々、この子を背負って生きていかなければ、ならない。
その時初めて、明日は明日の風が吹くじゃないなと、
それまでのようになんとかなるじゃない。

自分以外のことって、この子のために将来楽に生きていくだけのものを残していかなければいけない。

山本 :はい。


命がけの出産で授かった長女。

娘を立派に育てるためにがんばらなくてはならない、
家族への思いが譲二さんを支え続けたのです。





・父親がいない場所で声だけ聞こえた

国分 :不思議な体験をされたとかで、
競艇場にいたんですか?

山本 :友人の家にいたんです。
電話投票です。

してるときに、「3と4と5を買わんか」って、
それだけです。

国分 :不思議な声が聞こえたんですか?

山本 :親父の声やな、父さんの声やな。
3、4、5って。

国分 :買ったら、それがまた当たって。

山本 :当たりました。

美輪 :一度きりでした。

山本 :一度きりです。

その3時間ぐらいして、姉から電話があって、
「お父さんが」って言うんで、行きました。

俺と、母と姉と何人かで、お医者さんが
「延命器具をどうされますか?」って。

俺がはっきり言いました。
「もう、取ってくれ」って。

ものすごく、意識は無いけれど痛がるんですよ。
しかめっ面をしたり、意識はないと思うんですよ、
目は開けないし、ただ、呼吸をしてただけですから。

国分 :お父さんと最後の言葉を交わしたりとかはあったんですか?

山本 :ありました。

まだ、しゃべれるときに、入院してるときに、
手を出すんで握ったんですよ。

そして、ちいさな声で、「嘘つくな、約束守れ」って。
「ちゃんとした男になれ。」って、
それだけでした。
それが最後の言葉でした。

高校時代は嫌いだったんですけれど、
みちのく売れてからは、すごく好きになりました。
なぜか。

美輪 :それが、本当の人の道だということが、
山本さんのほうがわかってらしたからでしょう。

山本 :どうなんでしょうかね。

まあ、みちのくが売れてくると少しは余裕ができたりして、
ふるさと帰ると、父さんも競艇が好きなんですよ。

「おい、競艇いこうや。」っていうとものすごく喜ぶんですよ。
自分にも余裕ができたんで、カラオケに行こうか飲みに行こうかっていうようになったんです。


運命の出会いをした山本譲二さん


先週の「オーラの泉」ゲストは、
山本譲二さんでした。




国分 :スピリチュアルというものには興味はありますか?

山本 :あります。

国分 :どういうところに興味がありますか?

山本 :うちのかみさんとか、娘がよく見るんですよ。

なんか、僕には見えないものがよく見えるんです。

女房が運転してて、子供が乗ってて後ろに座ってるんですけれど、
「見ちゃダメ」って言う会話とか。

なんだよそれって聞いたら、「あそこに立ってたから」って。

僕には、全然見えないです。

美輪 :不便ですね。
浮気ができませんね。

山本 :あっ、見つかってます。



山本譲二さんの運命を変えた女性。

それが、今の奥さん悦子さんです。

1950年山口県に生まれた譲二さん、
高校を卒業すると、歌手になるために上京。

そんな時、出会い一目ぼれしたのが、当時女優として活躍していた
悦子さんでした。


一方、「伊達春樹」という芸名でデビューしたもののさっぱり売れなかった譲二さん。

何度かチャンスをつかもうと、オーディション番組にも挑戦しました。

10年以上も続いた下積み時代、
悦子さんは譲二さん支え続けたのです。



国分 :「伊達春樹」という名前でデビューしたんですか?

山本 :そうですよ。

国分 :奥さんと結婚はされてなかったんですか?

山本 :一応、同棲ですよね。

国分 :売れてない頃に、奥さんといるというのはお金の面とかで苦しかったんじゃないですか?

山本 :はっきりいって、ヒモです。

毎日、2千円ぐらいお金もらって赤坂の「ダイノス」ってパチンコ屋に行ってました。

国分 :それを倍ぐらいにするために行ってたんですか?

山本 :倍ぐらいじゃない、5倍ぐらいに。

国分 :(奥さんとの)出会いはどこでしたか?

山本 :出会いは、出版会社がありましてね。
そこで、電話番とかしてたら、ばーっと入ってきたんです。

本当にね。

光ってました。

うちの女房、本当にまぶしいぐらい。

『 阿弥陀如来 』が入ってきた感じですよ。

ぴかぴかで。

男の人2人連れて、マキシムコート着て。

女優とモデルをやってました。

顔を見てものすごくかわいかったんですよね。

でも、わしと付き合う人とは違うなと。

国分 :でも、どうやって声をかけたんですか?

山本 :僕のディレクターが、
僕が弾き語りをやってる店に連れてきてくれたんですよ。

そこで、どこで生まれたんですか?
って聞いたら、「栃木ですよ」って。

そういう感じの人じゃないと思ったんですよ。
もっとツンとしてると思った。

モデルとか聞いてたんですが、
全然、僕が聞いたイメージと違うなと。

なんて素敵なんだろう。
惚れたな、みたいな。

本当に、僕、転がり込んで行ったんですよ。
彼女のマンションに裸で。

普通、逆でしょう。
何にもいらないから、俺のところに裸で来いっていうのが。

そこから、生活がはじまるんですけれど。

美輪 :それはそれで、女の人はうれしいもんなんですよ。

山本 :そうですか。

売れるって言い切りましたね。

「時間がかかるけど、譲二は売れる。」っていってくれましたね。

なんか、それだけが頼りでしたね。





・奥さんのおかげで歌手になれた

「あなたは売れる。」と励まし続けた悦子さんの言葉通り。

『みちのくひとり旅』が大ヒット。
歌手山本譲二が世の中に認められる日がやって来ました。


1987年結婚。
13年の付き合いを経て、晴れて夫婦の生活が始まったのです。


国分 :奥さんの存在が無かったらどうなってたんですかね、
山本さんは?

山本 :違う人といっしょになってたらね...。

あのー、女房は売れない頃にね、
「うちのお父さん、お母さんに会って」とか一切言わなかったです。

売れないころに、「うちの両親に会ってくれるかね」ってそういう風に言われたら僕は、小山まで行ってますよ。

お父さん、お母さんの前で、「必ず、しあわせにしますから。」って。

給料も4万円だから、なんにもできないじゃないですか。

たぶん、俺、歌い手になる道はあきらめてたかも知れませんね。

自給のいいところに行って、生活の安定を。

美輪 :責任感の強い方だからね。

山本 :それがなかったのがありがたかったし、
僕は、僕が好きな歌の道を歩くことが出来たんですよね。

江原 :それから、偉いのがそういった時代から、今までまったく奥さん変わらないでしょう。 姿勢が。

山本 :変わりません。

江原 :ご主人がそうなったら、奥さんも変わるとかあるでしょう。

山本 :はい。 なかったです。

だから、僕のことを好きというやつより、
女房のことを好きというやつのほうが、
うちの新しい事務所の中6人しかいないんですけれど、みんな女房のファンだと思います。

俺が行ったら冷たいもん。
感でわかるんです。

母親との子供の出会いの奇跡


アメリカのミシガン州グランドラビッツの
ホームセンターで働いている、
クリスティン・タラディーさん。


現在、彼女は、夫デールさんと2人の子供がいます。

クリスティン:本当は、3人の子供に恵まれたんです。
でも、理由があって最初の子は育てることができませんでした。


1985年、彼女は最初の子供を授かりました。

クリスティン:私は、まだ学生で、しかもシングルマザーを覚悟しなければならなかったのです。


周囲からも強く反対され、養子にだす選択を迫られました。
家族に説得され、生まれた赤ちゃんは養子に、
つらい選択でした。

契約で里親が誰なのか知ることができません。

そこで、18歳になったとき母親の情報を知ることが出来るという条項に彼女は同意しました。

いつか、息子が探してくれることを願って。

クリスティン:18歳、20歳を過ぎても息子が会いにくることはありませんでした。
きっと、私をうらんでいるのだとあきらめていたんです。


子供は、フレイグ家に引き取られ、スティブ・フレイグとして順調に育てられました。

現在は、配送の仕事についています。

彼は、養子であることを聞かされていました。


スティブ :両親は、なに不自由なく僕を育ててくれました。
でも、自分がどこから来たのか知りたかったし、
何かが足りない気がずっとしていたんです。


そんな息子の気持ちをしった両親は、
スティブの義母 :彼のそんなの気持ちをわかっていました。
私たちは、彼のしあわせが一番のよろこびですから。
本当のお母さんを探すのなら協力するよといっていたんです。


2003年彼は、実の母の資料を手にいれ初めて母の名前を知りました。

早速、名前から住所を検索してみたのですが。

スティブ :なんどやっても手がかりがでてこなかったんです。
すでに亡くなってしまったのかと、不安になりました。


母の資料を何度も見直し、4年が過ぎた去年の10月。
たまたま、母親の名前のスペルを誤って入力すると、
スティブ :4年間探して見つからなかった、母親の情報がなぜかその時でてきたんです。


実は、資料の名前が間違っていたのです。
彼が、偶然入力したのが母親の本当の名前でした。

しかも、その家は彼の家からわずか3キロしか離れていなかったのです。

スティブ :いきなり会いに行っていいものか悩みました。
せっかく見つけたのに決心がつかなかったんです。


そこで彼は、職場の上司に相談しました。
すると、驚く答えが返ってきたのです。

会社の上司 :彼の母親がクリスティン・タラディだと聞きビックリしました。
その人なら、この店にいるじゃないかって。


なんと、二人は同じホームセンターで働いていたんです。
そして、二人は感動の再開を果たしたのです。


クリスティン :私は、今まであんなに強く抱きしめられたことはありません。
もう言葉にならず、感動しました。
あのときのあの瞬間のことは決して忘れないでしょう。

スティブ :この日をずっと待ち続けていたんです。
職場の赤の他人がいきなり母親になったのは衝撃的だったけれど。
こんなに感動的な出会いが出来たことがいまだに信じられません。

そして、二人はお互いに家族を紹介しあいました。

スティブさんには、新しい弟と妹ができました。


22年のときを越えて、再びめぐり合った母と息子。
二人の別れと出会いにはどんな意味があるのでしょう。



国分 :これはすごい、奇跡ですね。

高田 :僕は、こういう劇的な実話ドラマを見ると、
自分に照らしあわしちゃうんですよすぐに。

僕がたどってきた過去をさかのぼるとあんなことありえないよなと。

筋書きがなければ、というタイミングがいくつかあるんですよ。

どうしてもこういうの見ると、必然的な、ものが積み重なって、
スペルの問題もそうだし、育ての親が一切拒絶しないで、みんながいい人相してあたたかく迎えるじゃないですか。

その人が、真剣にまっすぐに生きてきたから、
神様がごほうびをくれたのかなっていう風に思ってしまうんですよね。

だから、僕は国分さんとはね、見る観点がまったく違うんですよね。

彼は、彼(スティブさん)のもみあげに感動してるんです。

観点が全然違う、感動してるのにテンションが下がっちゃう。

やめてください、だから。

国分 :スティブさんの子供写真が出てきて、もみあげの写真におどろいたんですよ。
22歳であのもみあげを持っているといったら奇跡ですよ。

美輪 :私はさ、いろんな思いがあって、孤児院で育っていろいろあって苦労したままなくなった人を私は知ってるから。

そのことで思い出しちゃった。
あーあの子たちもこうだったらよかったのになと、いろんなことで感動して涙がでてたのにね。

そしたら、もみあげがすげえだのって。

青木 :今回登場した人、みんないい人ですよね。
みんないちやもんをつけてもいい立場。

美輪 :その発想が、今の日本人全体にいえることなのよ。
そんな発想になっちゃうのよ。

高田 :悪い日本人の象徴。

国分 :あと、4年間会わせなかったというのは、
なんか、意味があるんですか?

江原 :待つ時間が長ければそれだけ感動っていうのはひとしおで、
あと、僕は試されてることがあると思うんです。

そこまで、会いたいかと。

それと、高田さんがおっしゃった行い正しきことは、その分むくいがあるというか。
みんないい人じゃないですか。
いいことがあると、「行いがよかったからだよね」って。
その表れじゃないかと思いますけれどね。

国分 :その言葉も忘れてましたね。
「行いがよかったからだよ」というのも。

僕もメンバーに奇跡的な出会いを感じるんですよね。
血がつながってるわけでもないのに、うちの社長がこいつとこいつで
「TOKIO」って、で「TOKIO」がある程度でてきたからいまのように、美輪さん江原さんに会えてる部分があると思うんですよね。

美輪 :それだけじゃないけれどね。

たとえば、氷山と言うのはね、海のそこに沈んでいる部分のほうがすごい分量でしょう。

海面に出てるのはちょこっとでしょう。
だから、氷山の一角なのよ、あなたがいってるのは。

海面の下の理由が一杯あるのよね。

だから、高田さんのお宅の子供の問題も、青木さんのくっついたりはなれたりの問題も海面からの積み重ねがあってそうなってるわけだし。

江原 :こういう極端な例は、みんな奇跡を感じるんだけれど、
日常の中の奇跡はみんな忘れるんですよね。
どうして、その人と婚姻までしたかとかね。
グループそうですよね。

国分 :僕は、どうしてさっきもみあげが気になったんですかね。
昔、もみあげでなんかあったとか?

江原 :目についたんでしょう。















柳原さんへどうしても伝えたいメッセージ


母親を亡くして2年、
ひとつだけ気がかりなことがありました。


国分 :自分がお母さんに忘れたこととか言い残したこととかはありますか?

柳原 :それがね。
忘れてしまうんですよ。

そのときは、すごく感じることがあったけれど。

もう、声も覚えてないし。

どっかで聞いたんですけれど、
声、顔、思い出の順番に忘れて行くって。

すごく好きだったから、こうじゃないかとか
亡くなってすぐは思ったんですよ。
こういうことを言えばよかったとか。

もっとああすればよかったとか、いろいろ考えたんですけれど。

最近だと、でてこないんですよね。

うん。

美輪 :いいことね。

情報が充実するとそうなるの。

だから、柳原さんが今のお仕事がのりにのってきたじゃないですか。
小さいことの夢がね、実ってね。

だから、お母さんはお母さんで自分はやるだけのことはやったね。

愛情を注ぐ相手がいなくてこの世を去る人だっているのよ。

だけど、あなたも甘えてくれたしものすごくかわいかったし。
愛情面では、もうフル稼働したわけだから。

なにも思い残すことがないのよ。

柳原 :母を思い出して、泣く事が最近なくなったんですね。

さびしいことじゃないんですね。

美輪 :さびしいことじゃないわよ。

向こうが充実してるんじゃなくて、もう思いを残しててね。
違う次元の世界に行ってて、「ああすればよかった」とかぐじぐじとしていたら、こっちに伝わってくるんですよ。

そうすると、こっちは原因もないのにうつうつしてくるのよ。

そうじゃなくて、「あーよかった。 私は、これで満足。」って、
愛情に恵まれ、やることやって、しかも現在のあなたを見てると、
娘がしあわせと思ったら私もしあわせ。

そうすると、マイナスの波動があなたに行かないのよ。
充実してるから。

あなたが、充実することが、お母さんの充実になるんですよ。

国分 :今まで、涙がでていたのに、それがでなくなってなんでだろうと考えていたんですか?
お母さんのことをこのまま忘れちゃうんじゃないかとか。

美輪 :それはないのよ。

江原 :それと、もうひとつね。

思い出しますよ、この先。
また、よみがえってくるのたくさん。

自分の人生の節目節目にね。
「あーそうだった、あのときこうだった」って全部よみがえってくるから。

自分とお母さんの年齢のときにね、お母さんこうだったってふわーってその世界がよみがえってくる。
そして、すべてに、なるほどってだから、お母さんあの時こういうことを言ったんだ、だから、ああいう行動をとったんだ。

全部、その都度よみがえってくるということ。

だって、今の状況お母さん一番喜んでるに決まってるじゃないですか。

だから、そこでずっと泣いてるあなたを見て喜ぶはずないでしょう。

美輪 :あの。
「去る者日々に疎し」といって。
(死んだ者は、月日がたつにつれて忘れられていく。
転じて、親しかった者も、遠く離れてしまうと、しだいに親しみが薄くなること。)

どんなに愛して、命がけで愛してる人でもね。
時間がたつと忘れてくるのよ。

忘れていくことが罪ではないの。
それに罪悪感を持つ必要はさらさらないわ。

私もはじめ、何十回もそういう目にあってきましたよ。
最初は、罪悪感をもっていましたけれど、罪悪感を持つ必要はないの。

そういうことがわかってきたから。

それでね、いいことだけ思い出してあげればいいのよ。
楽しい思い出、いいことだけを思い出すようにすればいいの。

マイナスのことは、全部忘れるようにするの。

そうすると、孤独のときにいつでも引っ張り出してね。
いい音楽かけてね、楽しい思い出だけね。

思い出の上手な使い方というのがあるんですよ。

柳原 :う、うん。




○そして、もうひとつ大切なメッセージがありました。

江原 :ここからは、ちょっと番外編ね。

それが、あなたの中で思い当たることがあったら、とって置いてください。

お母さんは、最後の姿だけ誤解を解いておきたいということなの。

あなた自身のトラウマとして心にひっかかっちゃってて、
それで、思い出すのもつらい。

少し、封印しておこうかなという問題になっちゃって、
お母さんが最後に言ったことは、すべてが本当じゃないと。

最後に、自分のわがままを全部出してね。
全部膿だしして帰って行ったんだと、だからね、
そのすべてをお母さんだと思わないでねって。

それが、ぜんぶお母さんの本心だったんじゃないかとか、
お母さんの本当の姿、本性なんじゃないかとおもわないで。

違う、お母さんは、あなたのお母さんのままよと。

それを、わかってもらえれば、あなたの中ですべてが良い思いでとしてよみがえるのに、
最後のお母さんとのかかわりが、いままでのお母さんをね、
叩きのめしちゃったみたいな気分にね。

あなたの、そのこころをせき止めているものっていうのを、
今日、ここでといておきたいと。

あなたが思っているとおりのお母さん。

それ以上でもない、それ以下でもない。


後は、お父さんとの時間もそうだし、どれだけの時間をたくさんつくっていけるか。

美輪 :あなたもね、聡明でいらっしゃるからよくおかりでしょうけれどね。

あなたは、家事をやらせてもちゃんとできる人だし、気がつくし。

妄想癖があるのは、これは諸刃の刃でね、
ネタをつくったり、一人のときに楽しむとか、仕事とかに全部プラスに働く場合もあるけれど、
それが、被害者妄想だとマイナス思考でどんどん自分を痛めることになる。

だから、その妄想の使い方を上手にプラスのほうだけにお使いになればいいわけ。

人はいろいろ、水仙のと思ってればいいわけだし。

これで、どんどん進化して大人になっていくとね、
いい言葉があったでしょ。
「案ずるより生むが安し」とか、いっぱい知ってて、
大人になって行くと、それがね、人生の達人になってきますよ。

不思議なのがね。

みんなね、スリムで痩せてて体が小さくてね、ファッションモデルで洋服が似合うにはそれでいいですよ。
みんな、女の人の目を意識して痩せててかっこいいとかいうじゃないですか。

だけどね、男はむちむちぷりんがすきなのよ。
どっちかというと、巨乳、爆乳じゃないけれど、
なぜ、マリリン・モンローがなぜ世界中から愛されたかというと、
二の腕がむちむちしていて、おっぱいが大きくて、ウエストは細いんだけれど、下腹が出ていて、太ももが大きくて、ひざから下はキューっとしまっているわけでしょう。

本当にもてたければ、むちむちぷりんになってみなよって。
そうすると、放っておいても男がついてくるよ。

だから、あなたは、最大の武器をもってらっしゃるのよ。
それと、微笑とをね。

国分 :じゃあ、今もてるんじゃない。

柳原 :やばいですね。

江原 :あの、ご自身では、熱烈な恋愛とか結婚とかはね、
否定しちゃってるというかね、あるらしいけれどね。

あるらしいんですよそれが。

柳原 :えーっ。

江原 :そのときが注意らしい。
のめりこむらしい。

というかね、そういう自分がまったくわからないらしい。

なぜかというと、これまで自分が、なかったから。
ごめんなさい。

美輪 :免疫がないから。

柳原 :うん。
全部を捨ててバッとはないですね。
生活の一部での恋愛しかない。

江原 :いつも心の部屋の中から見てるだけの世界だから。

だから、窓を開けてお仕事をしたり、窓を開けて友達と付き合ったり、
窓を開けて恋愛したり。
出て行ってないから。

窓を開けてのコミュニケーションだから。

まあ、先のことだけれど、
案ずるより生むが安し。
そのときに思い出せばいい。

柳原 :のめり込んだら、やばいんですかね。

美輪 :そのときに、江原さんの言葉を思い出してブレーキを引けばいいでしょう。












































柳原さん意外な趣味


・過保護な家族

国分 :リラックスするのは家なんですか?

柳原 :外を歩いていると何かしら、話しが入ってきたりしてすごく疲れるんですよ。

だからもう、休めるときはガッと家で休めるようにしています。

休みになったらコンビニにすら行けない。

美輪 :もともと、生まれたときからそうだからね。

国分 :家でなにをしてるんですか?

柳原 :家では、犬と遊んだり、本を読んだり、父と遊んだり。

(父とは)すごく仲が良くて、『きよし』って呼んでます。

最初の頃は、「きよしって呼ぶのはどうかと思う」っていわれたんですけれど、あなたはつよしでもひろしでもないきよしでしょ。
合ってるからいいじゃないって。

今も休みの日は、二人で食事に行ったりとか居酒屋で飲んだりとか。

国分 :しつけはどうだったんですか?

柳原 :母は、勉強しなさいとかある程度言う人だったんですけれど、
父は、なにも言わない。
ここはしからなきゃいけない時だけ、父が前に出るみたいな家庭でした。

美輪 :昔風の家族の分担がうまくバランスが取れていたのね。
おしあわせだったわね。

柳原 :30過ぎた子供だったから、すごく過保護だったんです。

美輪 :かわいかったでしょうね。

柳原 :このままで生まれて、4400グラムで生まれて。

国分 :大きい!

美輪 :マシュマロマンみたいな、赤ちゃんで。

柳原 :一人っ子で、べたべた育てられて、
母親は、中学に上がるぐらいまで靴下を履かしてくれてたんです。
「お洋服も着せて、髪もまとめてリボンつけて。
はい靴下も、はい、はい」って感じのすごく明るい母でした。

国分 :やってっていったんじゃなくて、お母さんがやってくれてたんですね。







・お母さんとの別れ

柳原 :母は、私が19歳のときに病気で亡くなったんですよ。

でも、やっぱり自分の中で、ぐっと強くなったなって思いますね。

本当に、学校休むでも母親が頭下げてくれるような人だったんで、
もう、自分でなんかしなきゃと思うようになったんですね。

美輪 :切り替えは大変でした?

柳原 :大変でした。

美輪 :やっぱりね、なにからなにまで、かわいがるはこれ結構。

ところが、その子が一人になったときに大変な思いをするのね。

だから、過保護というのは、自分は母親や父親として満足だけれども子供のためには毒になる場合があるのね。

もしも病気や事故で死んだ場合、あの子は一人で生きていけるだろうか?

生きて行けない子がたくさん出てきているの。







・ショックから立ち直った方法

国分 :お母さんは、TVに出ている可奈子ちゃんを知らずに亡くなったんですよね?

柳原 :知らないですね。

美輪 :じゃあ、それをどうやって切り替えて行きました。
参考になる人もいるかもしれないから。

柳原 :うーん。

なんだろう。

その分19年間がすごく濃かったんですね。
本当に。

親が生きているっていったら多分、40〜50歳ぐらいまでは、皆さん生きているけれども。

その分の愛情を19年間でもらったって、はっきり思えるんですね。

亡くなったことが最後のしつけというか、
きちんと一人で生きていきなさいって言ってくれたんだろうなって。

すごく、精神的に考えて、自分で変わろうと思って変わりました。

美輪 :もともと意思が強いのね。
あなたもね。

頑固だし、頑固と意思の強さがいい意味に働いたのね。

柳原 :そうかも知れないですね。

国分 :そう思えるまでは、時間かかりましたか?

柳原 :かかりました。

今こうして、カメラの前でしゃべっているのが不思議なんですよ。

美輪 :なぜ?

柳原 :うーん。
まず、話すことが出来なかった。

乗り越えられないというか。

江原 :それと、くいもね。

お母さんはたくさんしてくださったけれど、
自分が返すことが出来ずに終わったじゃないの。

だから、くいもあるし、一杯愛情いただいたんだけれど私の方からがまだまだ足りなかったのにっていうくいとか。

お父さんの方も、すべてが自分も含めてすべてだったでしょう。

世界のすべてだったでしょう。
要するに、お友達でもあり、親でもあり、家族、お家大好きなのね。

とはいえ、衝突はしてたみたいで、お母さんとのね。

それは、仲がいいからの衝突なのね。

要するに、みんなが内弁慶みたいなもんで、外には出さないのに家では憎まれ口を出せたりとか、でもそれをお母さんもふんでいて、
お母さん自身のくいはあまりないんじゃないですかね。

国分 :亡くなったのは突然だったんですか?

柳原 :うん、それでも体は前から悪かったんです。

でも、私的な心の準備が出来るような期間はなかったです。

江原 :それと、お母さん自身も精神的な不安定さもありましたでしょう。

複雑なやりとり、気持ちの上でね。
娘という立場、いやここは大人になって守ってあげなくちゃ行けないという葛藤。

でもね、人間みんな生きていれば、そうして夫婦とか家族になっていればすべてが思うようにいかないじゃないですか。

それを受け入れて、すこしでも良いほうに向いて行けるか。
それが大事だってことを柳原さんに、お母さんていうのは自分の人生をもって教えてきたんじゃないですかね。

柳原 :それはあれですよね。
大人になってから話そうと思ってたのかな。

江原 :そう。 わかるでしょう。

柳原 :うん。

江原 :そこが、断たれちゃったところがあるわけ。

これからが、本当の心を語れるとき...
だったんだけれど。、


柳原可奈子さんの子供時代


先週の「オーラの泉」ゲストは、話題のお笑い芸人、
柳原可奈子さんでした。



柳原 :よろしくお願いします。

国分 :この番組は見たことありますか?

柳原 :あります。

国分 :どういう印象を持っていますか。

柳原 :信じているところも半分ありますけれど、
半分は、いやいやいやってところもありますね。

これにでるってことになって友達にでるっていったら、
私は終盤で泣くタイプだって言われたんです。

国分 :その友達は、この番組をめちゃくちゃ見てますね。



1986年、東京生まれ。

一人っ子で過保護なほど両親に愛されて育った彼女は、
なぜか小学校5年生でお笑い芸人になると決意。

高校を卒業すると、迷わずお笑いの専門学校に進みます。

同世代のよくある風景をネタにデビューするとすぐに注目され、
クラスの人気者がお笑い芸人となったのです。






・子供時代の柳原さん

国分 :子供頃から陽気な子供だったんですか?

柳原 :子供の頃は、すごく神経質な子供でした。

明日の授業の忘れ物がないかずーっとランドセルを確認してる子でした。

それで、寝れないんですよ。

臨海学校に行くとなったら、3ヶ月前からホームシックになったらどうしよう、泳げなかったらどうしようと考える。

母が、私が常々そんなことを気にする子だったので、
「案ずるより生むが安し」だよっていつも言ってくれてたんですよ。

そういうしつけみたいなのがあって変わっていったのがありますね。

美輪 :暗示にかかったのね。
いい暗示にね。

柳原 :今も心配事があると、
「案ずるより生むが安し」だって思い出していますね。

国分 :学校では、ものまねしたりして目立っているタイプなんですか?

柳原 :目立ちたがり屋なんですよ、小学生の頃から、先生のものまねをしてみたりとか。

国分 :子供の頃から、芸人というのには夢を持っていたんですか?

柳原 :もう、ずっとなりたいと思ってて、
ちょうど、小学校5年生ぐらいのときにボキャブラ天国世代の芸人さんがでてきたぐらいで、なんて素晴らしい職業なんだろうって。
小学校5年生ぐらいから、ずっと思ってたんです。

国分 :あれは、僕も出てたんですよ。

柳原 :本当ですか!
まったく、記憶にないですね。

国分 :記憶にないわけですからね。

美輪 :ちいさいってのはそんなもんよ。

国分 :親は反対しなかったですか、お笑い芸人になりたいってことには。

柳原 :母親は、常々私に薬剤師になれって言ってたんですよ。

私、小学校のとき、ずっとオール5だったんですよ。

いい大学に行くのは間違いないだろうって親戚も言ってたし、
薬剤師だったら手に職だし、食いっぱぐれもないからなりなさいってずーっと言われてたんです。






・ネタづくりのポイント

国分 :ネタ作りはどうしてるんですか?
代表的なショップ店員さんとかは。

柳原 :ショップ店員は、実際見に行って。
お客さんとして、「これはどういう風にあわせたらいいんですか?」とか聞いたりして。

国分 :総武線のギャルはどうやって見つけたんですか?

柳原 :あれは実際、ああいう友達がいて、
「船橋のララポート鬼熱いからね。」っていうのを、こりゃー普通の会話でこんなことを言うのはおもしろいって、話しながらも携帯をメモしちゃって。

船橋が、聖地なんですよね。

国分 :今のその子とは、連絡を取っているんですか?

柳原 :そのネタをTVでやるようになって連絡が来ないようになりました。

だから、今は、見ず知らずの人とか、喫茶店で隣合わせた人とかの会話を盗み聞きしてつくっているようにしてます。

国分 :僕個人的には、たぶん業界に入ってからそういう人を見つけたんだと思うんですけれど。
大物スタイリストさんの物まねをするんですよ。

柳原 :「今、ミヨちゃんとみしゅくでワインいただいてたのよ。
プレスのミヨちゃんともお話ししてたんだけれども」ってこういう話し方なんですよ。
黒いボブヘアで、色つきのめがねをかけていつもプレスの子とみしゅくでワインを飲んでいるっていう設定なんですよ。

美輪 :でも、着眼点がいいわよ。
一番鼻持ちならない連中をからかい倒すっていうのはね。
反骨精神でもあり、いいわよ。

ファッショ業界、美容業界ってのはね、ブランド物の名前をちりばめてね、
トラの勢をかるキツネで洗練されてるぶっちゃうのね。

それが野暮だと気がつかないのよ。
自分が何様だとおもっているのか、
もっとやって。

柳原 :この間、聞いておかしかったのが、そういう職種の人が、
レセプションパーティの招待状を送って来るじゃないですか。

自分のに、全部印刷だった、ひとつも手書きを添えてなかったって怒るって人がいるの。
それを、ネタにさせてもらいました。

国分 :それはネタになるね。
普通、そんなことでは怒らないもんね。

ラジオのDJが神の声で命を救われた


2007年5月ラジオを聴いていたリスナーが命を救いました。

しかもその時、耳元で助けに行けという神の声が聞こえたんです。

ラジオのDJ :僕の命が救われたのは、ラジオのDJをやっていたおかげなんです。

勇気あるリスナーの助けがなかったらもう僕は、この世にいないでしょう。


ノースカロライナ州シェルビー、
今回の舞台は、ローカルの小さなラジオ局。

5月26日、職場では、3連休で出勤していたのは、ティムさん一人でした。

ティム :みなさん、おはよう、スワップショップの時間です。


・リスナー同士がものを交換する番組、スワップショップ。
いつもと変わらず番組が始まりました。

ところが、しばらくして、この街の住人ジェラルド・ウェザーズさんがラジオのスイッチを入れると、
うめき声のような音が。

ジェラルド :ティムの身になにかあったのだとピンときました。

そして、次の瞬間耳元で「助けに行け。」という神の声が聞こえたんです。


・ジェラルドさんは、急いでラジオ局に向かいました。
すると、ティムさんが床に倒れていたのです。
意識不明の重体でした。

ジェラルドさんの連絡で、病院に運ばれ、なんとか一命を取り留めたのです。

ティム :倒れてから、次の職員が来るまで2時間半ありました。

もし、彼の助けが無かったら死んでいただろうと医者には言われました。


・ティムさんは、小さい頃から若年性糖尿病をわずらっていました。

放送中に病気の発作が起きて、突然意識を失ったのです。

ジェラルド :あの偶然は運命だと思いました。

自分に課せられた役割を大変な局面でなしとげられたことをとてもうれしく感じています。


・リスナーの機転によって助けられたティムさん。
さらに、こんなことも。

ティム :リスナーに命を救われたのは、これが初めてではありません。

4年前にも助けられたことがあったんです。


・4年前、番組で、自分の体が腎臓移植を必要としていることを告白しました。

その時、放送を聴いていたのは、ジャック・ホークさん。

ジャック :奥さんや妹の腎臓は移植できないかもしれないと、
ティムは話していました。

私の中で、神の声が聞こえ、
「私が腰をあげなくてはいけない。」そう告げられたのです。


・ジャックさんは、すぐに電話しました。
腎臓の移植を申し入れたのです。

ティム :もちろん、ことわりました。
しかし、彼は、片道4時間半の病院に通いとうとう担当医からOKのサインをもらってきたのです。

僕は、その意思の強さに胸を打たれました。


・2004年5月移植は成功。
でも、なにがそこまでジャックさんを動かしたんでしょう。

ジャック :ラジオから伝わってくるティムの人柄が皆を引き付けるんです。
彼の人生の役に立てて、本当によかった。

ティム :ジャックは、人生を救ってくれた恩人です。

そして、僕は、腎臓だけでなく、最高の友人を得ることができたんです。
とにかく生き続けること、それが僕の目標です。


・ティムさんを救うため、2人が聞いた神の声。
そこには、どんな意味がこめられているのでしょうか。





国分 :いやーぁ、驚きですよね。
DJのためにリスナーが助ける、しかも、
2度もですよ。

高田 :ポイントは生放送。
生放送の中で、彼がリスナーと近い距離間で絶大な信頼を得ていたことのあかしかなとおもうんですよ。

神様が、彼にそういうエネルギーを彼に与えてくれたのかなと。
これだけのことをやったんだから、おまえ生き続けなければだめだよと。

国分 :リスナーの2人も、神の声がお前が行かなきゃダメだよと言ってましたもんね。

青木 :私がリスナーだとしたら、とてもかんがえられないわけですよ。
腎臓を他人にと。

私は、多分、家族でも躊躇する。

美輪 :それは、正直ですよね。

いやー。 あの村は、地球上でも珍しいユートピアみたいな別世界じゃないかと思うんですよ。

神様の声とかは、自分の良心の声を神の声と聞く場合もあるし、
実際にそういう声が聞こえる場合もあるし、
まあ、いろんなケースがあるし。

江原 :あと、もうひとつに、
素朴な村で、無償の愛というのを表現するという役目という役割があったのだろうと。

それと、だからってできるかっていうと、
経験を得たもの、それしかわからないところがあるんですよ。

たとえばね。
確実に確信をもって自分が声を聞いたときは、
動かないわけには行かなくなるんですよ。

たとえば、マザーテレサが、どうしてあの活動をしたかというと、
あるとき汽車の中で声を聞いたと、
「修道院を出て、貧しいものの中で働きなさい」。

それで、小銭しか持たず、修道院を出て、
シスターテレサが、そんなことが出来る人じゃなかった、ろうそく一本もまともに使えなかったあの子がなぜあんなことができたんだろうっていうようなことをいって。

あとは、ナイチンゲール。

あるとき、庭で天の声を聞いたと、それは、「役に立ちなさい」と言ってて。

そのとき、彼女には、いいなずけもいたんです。
それで、何年も苦しんだんだけれど、
結局、その縁談を断って、勘当どうぜんで家を出て、
そして、今の病院のシステムとなっている私たちがお世話になっているナースコールやなにやらをつくる人になっているんですよね。

だから、ただ人に言われるだけじゃない、
いまわのきわに「これを渡してくれ。」って言われるだけでやらなきゃってずっととがめますでしょう。

それ以上なんですよ、声を確実に聞いてしまった、自分は、
そしたら、せざるをえない。

でなかったら、ただ腎臓を移植でとは困ります。

国分 :そうですね。


・ある日突然、その声を聞いたら逆らえないという神の声、
それは、誰もが持つ良心の声なのでしょうか。


美輪 :これは、体験したものでないとわからない。

国分 :というか、お疲れ様です、本当にお2人は。

青木 :大変なことですよね。

美輪 :私は、それでも神様にわからないようにしてっていって、
つらいからって。
なにから何までわかりすぎたのが、わからなくなったの。

でも、こちら(江原さん)はのべつまくなしなのよ。

江原 :それでも、拒否しますよ。

私もやだやだっていうときは、いっぱいありますから、
やだやだの繰り返してで、もう今度こそいやだっていったら、
美輪さんから電話がかかってくるの。

美輪 :すいません。

いや、おかしいのよ、話しちゃっていいかしら。

今、江原さんがくだらない週刊誌で、売れなくなるといろんな週刊誌でないことないこと書き立ててやるわけですよ。

私は、56年間も芸能界にいると手口はわかってるの。
でも、こちらはうぶでいらっしゃるから、
母子家庭でお父様をはやくに亡くされて、
おばあさんに育てられて家庭的には苦労してらっしゃるのよ。

そのわりに世間にすれてないから、
だから、ボンボンでお坊ちゃまで世間知らずなんですよ。

だから、世間的に波風が立つと、
「え、えっ、どうして?」ってまったくやんごとなき箱入り息子みたいなところがおありなの。
あきれるぐらい世間知らず。

国分 :報道ありますよね。

青木 :私でよければ聞くよね。

美輪 :人のことは、全部わかるの。

高田 :あの、美輪さんがいわれたように、江原先生は人相はいいんですよね。

一般レベルでですよ、ピュアで赤ちゃんのような、そういうイメージがあるじゃないですか。
おっしゃる通りだと思いますね。

国分 :どんだけ、僕ら励ましあってるんですか。

江原 :言われなれませんからね。

美輪 :人のことばっかり言ってて、
自分は言われることはないですからね。



間下さんの大きなテーマ


・間下さんの大きなテーマ

江原 :すべての答えの大きなテーマは、美輪さんがおっしゃった一言なんです。
「女の一生って大変ね。」っていう一言なんです。

それが、間下さんの人生のテーマなんですね。

封建時代の古い感覚、そういうものと戦いたいというのがたましいにあって。

間下 :あります。

江原 :みんな何気なしに、赤ちゃんはまだとか、子供はいつってすぐ聞くでしょう。

男の人もデリカシーを持って欲しいというかね、
国分君でもやさしい人だから結婚したら子供欲しいとかいうと思うけれど、そうじゃないと傷つくの。

得て当たり前、結婚した子供できる当たり前、
子供できてあたりまえ。

なんでもそういくとは限らない、みんなテーマがある。

だからそこで、傷つくことがある、だから、
何気なく人を傷つけてしまうことがあるんですよね。

でも、そんな痛みを知っていくということはすごく大切なことで、
そういう意味での偏見、差別ね。

そういう役目をもっていると思うんですよ。

だから、そんじょそこらのとは負けやしないというか、
こと女性のこととかになったら私は戦わなければいけないという強さがものすごく現れると思うんですよ。







・夢にでてくる男の子

江原 :さっきの話しですが、おもちゃをならす赤ちゃんという音の話しと。

5歳ぐらいの男の子が出てきて頭をなでたって。

これね、よくよく見たら同一人物です。

この子は、この世に生まれて出すことが出来なかったお子さんであることは確かです。

ただ、生きて産むことが出来なかっただけで、生きたんですよ。
ちゃんと誕生はしてるんですけれどね。

ただ、その子があなたのお腹の中に入って、実は悲しんだけれどね。
産まれることができないことを前提にきているのね。

なぜかというと、
病気を伝えるためなの。

そのときは、わからなかったかもしれない。
次の子を妊娠して気がついたかもしれないけれど、
その死産がなかったら詳しく調べようとか、
先生もより深く慎重にいかなければという風に行かなかった。

だから、ご自身の役割は果たしているんですよ。

それでいて、今いってるメッセージは、ご自身は今子供ができて安堵感に浸っているかもしれないけれども、
ご自身の病気のこと体のことは絶対それから目を離しちゃいけないって。

間下 :じゃあ、ちゃんと薬飲みます。

江原 :それと、検査をちゃんと継続していかなといけないと。

子供のためにも、日一日を生き延びて、世の中に子供のこととか保育所のこととかも伝えていかなくてはいけないし、

自分のことも管理するのも役割。

と言いながら私も、耳が痛いですけれどね。
あたたたた...。

間下 :はい。
母親の役割だということは、心の中でわかってます。

美輪 :もう産んでしまったから、私のことはどうでもいいやじゃなくて。

だって、これからが大変なんだもの。
これまでも大変だった、でもね、育てていく、一人の人間にしていくまでというのはね責任があるんですよ。

自分なんかどうでいいんじゃなくて、どうでもよくなったら子供どうします?

困るでしょう。
これからが、必要なんです。
これからが、本当の仕事。

間下 :これでいなくなったら、本当に大変なことになってしまうので、
まさか、こんなに若くしてこんな病気になるとは思ってなかったんですけれど。

病気を付き合いながら、上手に生きて子育てできたらいいなと思ってます。

江原 :つらかったでしょうけれど、役目があったのね。

美輪 :こんな言い方失礼かもしれないけれど、悪運が強いでしょう。

もうだめだと思うと、スポッとどこからか(助けが)くるの。

江原 :そうなんですよね。
そうだ、そうなんです。

間下 :本当に、亡くなってもおかしくなくて、その先生との出会いが大きかったんだと思うんですね。

私の場合は、不育症といってお腹の中で子供を育てられないことを不育症というんですけれど、
それは、2〜3回死産とか流産とかを繰り返さないと不育症ですねってことにはならないんですね。

だけど、私の場合は、1回目じゃないですか、だからそういう検査って普通はしないんですね。

たまたま出会った先生がたまたま声をかけてくれて、たまたま検査してくれたから。

江原 :たまたまじゃないんですけれどね。

間下 :そうなんですか、でも、本当に先生には感謝、感謝で。

その先生も、たまたまその先生のお父さんが私が生まれたときにたまたまいた先生だったの。

国分 :えっ。

間下 :お母さんが私を産んだ時に立ち会って手伝ってくれた助手の先生の息子さんがその病気を見つけてくれたんです。

江原 :だから、たまたまじゃないんです。

美輪 :すべてね。
赤ちゃんのこともそうだけれど、仕事のことも、今までの人生でね、
奇跡的な運の強さがいっぱい重なっていらしたはずなの。

だから、そのちゃんとした原因がすぐわかるお医者さんにおあたりになってラッキーだったんだけれど、
それが、わからなくて死産を重ねる方もいるでしょうしね。

メールをいただいた中で3回も4回も死産を繰り返してやっとわかったって方もいらっしゃいますし、
やっぱり、この病気のことを知っていただいて、そうかもしれないならぜひ検査に行っていただきたいし。

また、男性の方も産めない女性、ダメな女性みたいに思わずに女の方もですけれど、
そういう病気なんだと育てることができない病気なんだということをわかっていただければ、
心の傷とかも与えなくてすむんじゃないかって思います。

美輪 :いい番組ですね。
いい番組をやってるんですよあなた(国分君へ向けて語る)。



□不育症に悩む女性の中に自分と同じ病気の人がいるかもしれない。
治療すれば、子供を産めるかもしれない。

そんな思いを伝えたくてやってきた間下さん。

間下さんの医師 :流産というのはけして珍しいことではありません。

10回妊娠して、1回や2回は当然おこることなんですけれど、
ただ、「抗リン脂質抗体症候群」に関しては、未治療だと8割ぐらいの方が流産するところを、15とか10パーセントにできる治療がしっかり確立されているので、
疑って僕たちのところにきて、しっかり検査をしてもらえれば、
妊娠出産を成功に導くことができると思います。



























間下さんは母になることで強くなった


●2006年8月もう一度、妊娠した間下さん。
しかし、血液検査の結果、ある病気が判明したのです。

原因不明の病気
「抗リン脂質抗体症候群」
血管の中で血が詰まりやすくなり、心筋梗塞や脳梗塞などを引き起こす病気です。


間下さんの医師 :
普通は、心筋梗塞などですと、ご高齢の方に起こりやすい病気ですが、
若い方でも、この病気を持っている方には起こす可能性があります。

それで、妊婦さんにとっては、胎盤の血管が詰まることで、流産や死産になったりとか、赤ちゃんが小さく産まれたりとかする可能性があります。


●なんと、間下さんだけでなく、間下さんの赤ちゃんにも関わる病気だったのです。




・母になると強くなる

国分 :初めて聞く名前なんですけれど、
「抗リン脂質抗体症候群」というのは、自覚症状はどういうようなものが?

間下 :自覚症状は、ありません。

国分 :これは、妊娠何ヶ月目でわかりました?

間下 :妊娠2ヶ月目でわかりました。
私は、本当にたまたまラッキーだったんですけれど。

最初の妊婦検診をしたら、ちょっと血小板の数が少ないので、
「僕、気になるからもう一度詳しい検査をさせてもらえないか」って初めて行った初めてのお医者さんが言ってくれたので、
もう二回目ですから何でもして下さいって。

検査してもらったら、
「抗リン脂質抗体症候群」という病気が見つかりました。

美輪 :それは、生まれつきの人と食事や何かが偏ったり?

間下 :今、難病に指定されているんですけれど、なんでそうなるのかはわからなくて。

美輪 :なにがあるかわからない。

間下 :遺伝性があるかどうかも、今調べている最中で。

前回も、それが原因で亡くなっちゃったんじゃないかということで、
また、子供殺しちゃうかもしれない私って思いました。

私が、こんな体じゃなければ、元気に生まれて来れる子なのに、
私の体のせいで、また殺しちゃうかもしれないと思いました。

国分 :その中で、産もうと思った。

間下 :気づいたらお腹の中にいたので、やれることをやっていくしかないとおもったので、一番いいといわれている治療法を調べたりして、
一番いい方法を見つけるように努力しました。

国分 :どんな治療がはじまったんですか?

間下 :本当に確立されていなかったので、これが聞くというのはひとつもなかったんですけれど。

血液をさらさらにする注射を毎日打つという。
計5ヶ月ぐらい毎日打ったんですけれど。

それは、病院に行って毎日打ってもらう。
医師やまわりも毎日打つのは大変なんじゃないかと。

この注射は、絶対効くという確証もないし、それは考えた方がいいんじゃないかと言われたんですけれど、
後悔したくなかったんですね。

あの時、注射をしなかったから死んじゃったんじゃないかとか後悔したくなかったんで、
注射を選びました。

国分 :怖いものは注射とか?
このときぐらいからですか?

間下 :いや、ずーっと前から、TVに注射が映るだけで気持ち悪くなるし、注射を打つだけで病院で倒れてるような、ほんとに病的なだめだったんです。

母になると強いんですかね。
この子の命を救えるんであれば、そんなの乗り越えてやるというような、
自分で不思議なくらいつよくなって。
迷いは無かったですね。

美輪 :でも、もともと強くていらっしゃるんですよね。

間下 :自分は、ぜんぜんそうはおもわないんだけれど。

美輪 :いいえ。 

江原 :いつも身の保険のためにいつも最悪のことを考えているから。

間下 :あってます。

江原 :だから、最悪の場合はここということをしとくと安心なんですよ。
それも強さ、ある意味ではね。

最悪のことをしておいてがんばろうみたいな。
それと、切り替えがはやくて素直だから、言葉はわるいかもしれませんが、いい意味での単純さをもっているんです。
もともと、ポジティブでね。

美輪 :だからね。
石橋の上をたたきまくる方なのよ。

江原 :いろいろ見ていくと、子役のときから、いろんな困難、苦労があったんですね。
だけど、その都度、切り替え上手なんですよね。

周りの大人たちの、こう考えるんだよ、こういう風にがんばればとかを素直に受けて、だから長々引きずらなかったでしょう。

間下 :長々、ずるずる引きずるのは嫌いですね。

江原 :あの、本当なら、亡くなってもおかしくないんです。

ごめんなさい、お子さんのみならず、
母体もね。

いただいたの、命をね。

間下 :いや。 自分の死のことはまったく考えたことが無かったですね。
やっぱり、自分が死んでも子供の命は助けたいと思っていたので、
私、自分の死とか思ったことも無かったです。

国分 :そのときの旦那さんの存在も大きかったんじゃなかったんですか?

間下 :そうですね、主人がいなければ、多分乗り越えることができなかったんじゃないかと思うし。

やっぱり、足に血栓って溜まりやすいんですよ。
それを、聞いたら主人が毎日マッサージしてくれて、
仕事で疲れていたとおもうんですけれど、
少ないときで30分、多いときで2時間ぐらい。

最後、ちょっと意地になってましたけれど。

国分 :すごいですね。

美輪 :愛情が深いのね。





今度こそ、無事に赤ちゃんを産みたい。

間下さんと家族の戦いの日々が始まる。


間下さんご主人が赤ちゃんが出産するまで、
毎日つけていた日記があります。

『夜遅くに帰宅の途に

変えるコールをすると、やはり体調がすぐれないのんちゃん。
昨晩は、ほとんど眠っていなかった。

体の各部を指圧、マッサージ。 だいぶん、体調が戻ってきた。
まだ、熱があるものの今日は眠れるかもしれない。

毎晩、寝る前に、ぴよちゃんが生きているか確認する。

毎朝、起きたときに、のんちゃんが生きているか確認する。

そんな日も、あと何日だろう。』

そして、2007年3月16日午後2時57分。

『なんだろう、自分でもわからない、もう声にならない声で泣いていた。

看護婦さんが言った、「女の子ですよ。」
その時赤ちゃんが泣き出した。

それを見て、僕は笑顔で泣いていた。』

体重2155グラムの赤ちゃんは、
「めのあ」と名付けられたのです。



・難病を知って欲しい

国分 :初めて、赤ちゃんを見たときは、どう思いましたか?

間下 :うれしかったですけれど、
ほっとした気持ちの方が大きかったですかね。

病気を持っているので、娘といえど人の命ですからそれをあずかっているという重さをすごく感じていたし、
なんとか無事に生みたいという気持ちが強かったですから、
やっと外に出て自分の胸で、泣いてる娘を見たときはほっとしたし、
生まれてきてくれて、ありがとうって伝えました。

この子もお腹の中でがんばっただろうし、娘に対しても、神様とか周りとか主人とかみなさんに対してありがとうという気持ちだったとおもうんですけれど。

美輪 :今度の、あれは十月十日ですか?

間下 :9ヶ月、36週で。
私の体が、おもわしくなくなってきてしまったので、先生も考えてそれでは出しましょうということで、帝王切開で。

1ヶ月早めで、全身麻酔だったので生まれる瞬間は見ることができなかったんですけれど。

国分 :旦那さんが先に見たんですか?

間下 :そうですね、わたしより、主人や家族が先に見たというかたちですね。

美輪 :女の人の一生は大変ですよね。

間下 :そうですかね。

美輪 :だってそうでしょう、男の人にはそんな思いはわからないでしょう。

間下 :主人は私よりつらい部分があったと思うんですよ。
主人は、なにもできないじゃないですか、その歯がゆさがつらかったと思います。

あと、みんなにこの病気を知ってほしくて、わかったときにメディアに発表したんですけれど、そのときにたくさんのメールをいただいたんですね。

そういう方の力も手助けしてくれたし、いっしょに戦ってくれたんだと思います。

江原 :普通に生まれることが、幸いと奇跡っていう方もわすれちゃいけませんね。

だから、逆に普通に生まれて当たり前だと思っちゃダメだということ。

だから、育児に疲れている人もね。
その子がどれだけの奇跡でね、この世に存在しているのかということを考えたら、それに対する不平不満。

美輪 :私は、この歳になって思うんだけれど、
生きていることだけで、すごい確立ですごいことなのよ。

よく身の上相談でね、私は、50、60になっても何にもなくてね、
ただ、飯食って生きてきて、偉くもならなかったし財産もできなかったし一体俺の人生なんだろうと思うってとか、
主婦で普通に子育てして育て上げて夫婦2人になって私の人生って一体なんだったんだろうって思うって相談が一杯くるんですよ。

あんた、この世の中は、病気だらけで危険だらけ、とにかく生き抜いてそこまでくるのは大変な技術ですよ。

至難な世の中の生きてきて、ご立派なもんですよと私はそう言うの。

江原 :それとね、病気を世の中の方は悪にとらえる方が多いんですよね。

でも、自分が健康でいらしたら、病気の方に対して悪と思うんですよね。
これって偏見になっているんですよね。

これは、表裏一体で、生きていれば病気になるときもある。

だから、それをどう肥やしにしていくかであって、
それを理解すると、別の病気の方に対しても、
悪じゃなくて、懸命に生きているんだっていう目に変わると思うんですよね。

美輪 :明日はわが身ということがあるんです。

なぜ病気が悪というかというと、自分にうつるんじゃないかと、
変な因縁をしょっているんじゃないかとか、それが自分のところにくるんじゃないかとか。

だから、そんなことで、軽蔑したり、嫌がったりするんですよ。

だけど、もしあなたがそういう目にあったらどうなさいますっていうのよ。
そういう風には考えないんですよ。

ただ感情的に病気を捉えるんじゃなくて、冷静に捉えてあるべきこととして、じゃあそれをどう処置すればいいかと、冷静に分析していけば人を嫌がったり軽蔑したりすることはさらさらないの。

間下 :うん。



つらい時期を乗り越えた間下このみさん


今週の「オーラの泉」ゲストは、元人気子役の
間下このみさんでした。




1978年東京生まれ。

4歳で子役としてデビューのときに出演したキッコーマン「ガンバレ!玄さん」のCMで話題となります。

その後、フジテレビ「所さんのただものではない!」のレギュラーを務め、
人気キャラクターになりました。

その後、写真を学ぶためアメリカに行き、
写真家としても活躍しています。




間下 :前からここに出たい出たいと思ってて、
ここに来ることが出来てよかったなと、
すごく緊張してます。

国分 :出たいというのは、メッセージをききたいなということですか?

間下 :そうですね。

子供を死産した後に、子供がどうなったかとか、
舞い戻ってくれるのかとかを江原さんとかにお聞きしたくて。

でも、そのときはきいちゃいけないのかなと。
子供もできて、やっとひと段落着いたので、
ここに来ることができた。

必然。
かな?  なんて思ってます。

国分 :さすがですね。
よく見てますね。



●26歳のとき、仕事で知り合った11歳年上の一般人男性と結婚。
そして、妊娠。

しかし、喜びもつかの間でした。

安定期に入った、6ヶ月で死産。
新しい命がこの世に誕生することは無かったのです。





・つらいときにしあわせを見つける方法

国分 :とても話し辛いとは思うんですけれど、
死産とはどういう状況だったんですか?

間下 :ずっと順調に来ていたんです。

6ヶ月ということで、私も安心していたんですが、
ある日、胎動を感じてたんですが、感じなくなってしまって。

これはおかしいと思って、お医さんに行ったんですが、
「これは、もう亡くなっています。」と言われて。

えっなんで、というのと、赤ちゃんにごめんなさいという罪悪感みたいなものが胸の中に一杯になって、
もう、泣く涙が止まらなかったです。

国分 :6ヶ月というのは、お腹の中では大きくなっているのでは?

間下 :実際、産んでみたら280グラムだったんですけれど。

お腹の中においておくわけにはいかないので、陣痛促進剤を打ちまして、
普通の妊婦さんのように、陣痛を越えて産んだんですね。

自分の子供をこの世に出してあげたいという気持ちが大きかったので、
早く産んであげたいという気持ちで、陣痛は乗り越えられたんですけれど。

見てみたら綺麗な赤ちゃんで、涙が出るというよりは、うれしくて泣いちゃって主人といっしょに笑って見てましたね。

国分 :でも、辛い思いをずっとしてらっしゃったとおもうんですけれど、どうやって乗り越えてらっしゃったんですか?

間下 :そうですね。

産んだ後に、家の中に閉じこもったり、
どうして私だけ死んじゃったのっていう。

全然、関係ない人を恨んだりしていたところに。

江原 :胎動を感じていたところではきついですね。
存在していたことが、実感できていた後だものね。

間下 :あるとき、インターネットを見ていたら、
ある文章があったんですね。


『毎日、お空の赤ちゃんはあなたのことを見ています。

泣いているのが、赤ちゃんも悲しくて、
なんとかよろこばせようとしあわせを運んで来てます。

でも、赤ちゃんて、体が小さいからちっちゃなしあわせしか運べません。

そのしあわせに、あなたは気づいてあげていますか?』

っていう文章。

それを見たときに、ハッとしたんですね。
私が、泣いているのはエゴだったんだって。

息子のためでもなんでもなく、自分のために泣いてたんだって。

息子も、母親が泣いているのはいやだろうとなんとか元気にならなくちゃっていうところからそういう風になれたんですね。

それで、主人が帰ってきたところにそのブログのことを言ったら、
「じゃあ。
ちっちゃなしあわせって気づくことができないから、
寝る前に報告会をしょうよ。」って主人から提案がありまして。

ほんとに、「今日、それが綺麗でした。」とか、
「ケーキが欲しかった」とか、
「朝の占いがよかった」とか、くだらないことなんですけれど、そいういことを少しずつ集めていく中でなんとかこう立ち直ることができたんだと思います。

美輪 :しあわせを確かめるということは、
本当に大事なことですよね。

自分は、本当はしあわせなのに、不平不満の方ばかり今の人たちはみているんですよ。

それで、しあわせの方を見ようともしないの。

どうしたの、こっちの方も見なさいというけれど、こっちの方ばかり見ちゃってうなだれて、ぶつくさ。

攻撃的でね、誰かをやっつけてやろうって、
なにか怒る必要があるのかってぐらいに現代の人はイライラしてるの。

だからね、世の中、プラスの方とマイナスの方があるでしょう。
だったら、マイナスの方を見らずにプラスの方を見ればいいじゃない。

数え上げれば、不幸の数以上にしあわせの数がたくさんあるんですよ。

だから、それに気づかないのを気づきましょうという運動をなさっているのは素晴らしいことですよ。






・夢で5歳の子に頭をなでらた

国分 :夢で5歳の子に頭をなでられる夢を見たと。

間下 :はい。

そうですね。
ちょうど、電柱がありましてそこに七三分けの顔が丸顔の子供がいまして、そこによって行ったら。

ちっさいのに、私の頭に手を伸ばして、
「大丈夫だよ」って言ってくれた。

その後、すごーく心があったかくなったんで、
ああ、もしかしたら息子かもしれないって、私は信じてます。

国分 :これは、もしかしたら。

江原 :のちほど。


宮藤さんの前世


・宮藤さんの前世

江原 :一番、象徴的に見えてくるのがヨーロッパでね。
フランスとかそっちのほうじゃないかと思うんですけれど。

貴族かなんかじゃないかと思うんですけれど、立派なお家なんですよ。
田舎の領主かなんかだとおもうんですけれど、
その時も、ご自身が型が嫌いだったんですよ。

その時は、長男で家を継がなきゃいけない、それでいて一家をしょっていかなきゃいけない。

乗馬もそうだし、剣もそうだし、あれもこれもとやるのが大嫌い。

美輪 :貴族のしきたりだから、きつね狩からなにから貴族の資格のひとつにはいってるから。

江原 :自分は、この家に生まれてきてはいけなかったんだという悔やみまで感じて、最初からダメっていうのに許してくれないんですよ。

結局、すべてのたましいのテーマは、『型』。

国分 :どうですか?

宮藤 :『型』っていうことを言われてすごく、
「ああ、そうなのか」って思いましたね。

江原 :「こうでなければならない。」
とかが大嫌い。

宮藤 :そうですね。 なんでだろうと思っちゃいますね。

「ああそうか。と思っても、どっかで納得いかなかったり。
めんどくさい人ですね。 割と。

江原 :そうは思わない。
わかりやすいといえば、わかりやすい人で。

『型』というテーマがあったからこそ表現するという仕事の上でも花が咲いてると思うし、
無駄になってないと思うんですよ。






・未来が気になる

宮藤 :今、ドラマで、人の20年後が見えて、自分だけが見えることでどうしてあげたらいいだろうと毎回悩むということにしてるんですけれど。

そんなことを書きながら、僕は20年後とかいや20年後に限らず未来はどうなっているんだろうなとか気になるからこういうドラマを書いたのかなと思うんですよね。

江原 :いや、そうじゃなくて、言葉を変えればね。

人の未来が決まっているかというのが気になるんですよ。

宮藤 :あー。

江原 :それは、『型』でしょう。
だとすると、あえぎようがないのかとか、もがいても無駄なのかとか、
そっちになっちゃうわけですよ。 
そこが気になるわけですよ。

いつもいってますけれど、宿命と運命と違うんです。

宿命は素材なの。

運命は料理なの。

宮藤 :ああ。 なるほど。

江原 :だから、人の人生は大方の素材は決まってるんですけれど、
料理は決まってないんですよ。

じゃないと努力する意味がなくなっちゃうんですよ。

宮藤 :ああ。
それちょっとドラマで使っていいですか。

江原 :このまま流れに任せたらそうなっちゃうよと。

料理すれば。
なぜ、しないの。

宮藤 :料理をどうすればいいかというのは。

美輪 :それは、自由なの、選び方だから。

宮藤 :自分は、こうだと思っちゃってるんですよね。

美輪 :『型』というのはつまり、宿命なんですよ。

青写真。
お家を建てるときの青写真。

自分が住みやすいように、ここをこうしたほうがいいとか、
設計変更が出来るんですよ。

その、設計変更可能な部分が運命。

だから、自由なんですよ。

宮藤 :型を破っていけばいいのか、
型は型で残していけばいいのか。

美輪 :だから、それも考えないほうがいいんですよ。

それを考えると型になるわけですよ。

流れるままに、成長すればいいし、そのままとどまってもいいし、
みちくさ食っててもそれもいいし、扉を蹴破ってもそれもいいじゃないか。

ねばならぬということは、どこにもない。

そういう生き方を会得して体現するために生まれていらしたわけだから。

江原 :これからの、一番の先生はお子さんだと思いますよ。
型のない一番のものじゃないですか。

宮藤 :そうですね。
自由ですよね。








・宮藤さんの2回目の転機

国分 :宮藤さんには、お子さんがいるんですよね。
お父さんにはちゃんとなれているんですか?

宮藤 :そうですね。
今、2歳半かもうすぐ3歳なんで、かわいいより面白いなが一番なんですけれど、
2度目の転機じゃないけれど、ずいぶん変わるな自分がというのはありますね。

家に帰ると、ニヤニヤしてますね。
日々、変わっていくから面白いなと。

美輪 :あの、緑の植物のような光が射してきてそっちの雰囲気になってきてません?

宮藤 :緑色ので思ったんですけれど、僕は街を歩いてると下を向いて怖い顔をしてるかニヤニヤしてるかどっちかだと人にいわれるんですよ。
どっちのときも話しかけずらいと言われるんですよ。

だけど、最近は散歩連れていってといわれるとうれしかったりします。

美輪 :そういう新しい世界が、ふわーと広がってるんじゃないかとふっと思ったの。

宮藤 :それは、子供が生まれる前からなんですけれど。

それまでは、教訓とかが自分に関係がなかったから新鮮だったんですよね。

自分で書いていて、自分のやったことのないスタイルを、気持ちがあったかくなるような台詞とかを書いたときに、
すごく恥ずかしいんですけれど、服脱いだみたいな感じですかね。

20代では、人にこう書いたらこう思われるんじゃないかなとか
そっちに気持ちがいっちゃってて集中できなかった部分があったと思うんですけれど。

国分 :いつ頃からですか、それは。

宮藤 :やっぱり、ドラマをやり始めてからですかね。

美輪 :それはね。
自分は、エキセントリックじゃなきゃいけない、自分の殻を作り出してね、そうじゃないじぶんというのは気恥ずかしいし、ゆるせないし、カッコ悪みたいなのとせめぎあっていたのを殻をポッとはずして楽におなりになったのね。

宮藤 :そうかもしれないですね。

国分 :今、どんどん脱げて行ってる感じですか?

宮藤 :いやでも、これ以上脱いだらあれかなとも思うし。

国分 :長瀬君になっちゃいますからね。

宮藤 :そろそろ、服着てくださいみたいなこといわれてもなあ。

美輪 :人間生きていくと、自分自身も周りも見てて来るんですよ。
年をとると見えてくるんですよ。
実は、これも自分、あれも自分、自縄自縛が取れていくんですよね。

そうすると、どれもこれもが自分の一部になるんだから。
そうすると、どんどん広がっていくんですよね。

宮藤 :ああ、そうか。
そういう時期なんですかね。

美輪 :それと、人間は、成長していくとふとっていくんですよね。



宮藤さんの驚きのアイデア


・宮藤さんの驚きのアイデア

いつも長瀬さんを驚かせている宮藤さんのアイデア

ドラマ『タイガー&ドラゴン』では、落語家に弟子入りしたやくざ。

映画『ゼブラーマン』では、コスプレ好きの哀川翔さんが、
スーパーヒーローに変身しました。

哀川 :倒れましたね、おかしくて、あんな脚本で笑えるのも久しぶりでね。
すざまじい才能だなと思いましたね。


現在、『未来教師めぐる』では、深田恭子さんが満腹になると人の未来が見えてしまうという塾の先生に。

深田 :一話で、カステラをまるごと一本食べるんですけれど、
カステラを一本まるごと食べるというのは、みんなが本当はやってみたいことなんじゃないかなって、
絶対やっちゃいけないことをできたことが、貴重な経験だなと思いました。






・いろんな発想が出来る理由

国分 :発想とか、どういうところから生まれてくるんですか?

宮藤 :どういうところですかね...?

第一歩を踏み出すときは、完全に感にたよってますね。

『タイガー&ドラゴン』っていう落語のやつも、
長瀬君が、講座にあがって全然面白くないいっていうやつは、
面白いなって思って。

美輪 :それは、その発想自体が計算なの。
逆転の発想だから。

まさかこういう人がいわないだろうという、
どんでん返しの発想だから。

子供のものをもってらっしゃるから、子供の空想、妄想をもっていながら、その計算とが結びついちゃうのよ。

宮藤 :ちょっとわかる気がしますね。

江原 :全然、違うことをいいですか?

トイレにふっと入って行っちゃうんですよね。

奇妙なことに、普通はもよおしてからいきますよね。
でも、さほどもよおしてないのに行っちゃうんですよね。

宮藤 :はい。 行きます。

江原 :そして、「あーっ」とか奇妙な声を上げてるのが聞こえるんですね。

宮藤 :うわっ!

びっくりしました、いま。







・宮藤さんの人生のテーマ

江原 :宮藤さんのたましいというか、テーマ。

すべて、『型』。

型があるかないかが、ポイントなんです。

それで、オーラの部分でも、すごく繊細さが現れちゃっててね。

あんなに楽しいことをなさったりするかたなのに、ブルーなんですね。

すごく、繊細で神経質なんですね、だから人と会うにもどこに行くにも全然落ちつかない。

落ち着かないと、トイレとかの自分だけの空間に入って「はぁー。」とため息をつく。

だから、人といるのは楽しいだけど、人といるのはすごく疲れる。
その連続のなかで、頭の中がハレーションおこすみたいなね。

だから「はあー。」みたいな声をあがるのが聞こえるんです。

宮藤 :よく、やってます。

江原 :トイレとかで、「あー」とか「うー」とか吐き出してね。

“王さまの耳はロバの耳”みたいなね。

全然、違う自分を演じてみたりね、脚本家として今日の自分の動きを決めているとかね。

宮藤 :はい。はい。

江原 :今日の撮影で自分がこんなになっちゃったから、明日からの自分はこんな風にやっていこうとか自分に脚本を書くんですね。

日替わり弁当みたいに、今日の宮藤さん、明日の宮藤さん違うと思いますよ。

宮藤 :はぁー。 はい。

国分 :どうですか?

宮藤 :えぇー。

割と、そうですね。

江原 :おもしろいものでね。

割と、自分で型に入れていったりするんですね。

でも、型が大嫌いなんです。

だから、さっき言ったように、ドラマでも絶対、型にはめるのがいやなんですね。

だから、時代劇なのにバイクが出るとか。
絶対、ありえないこととかに込めて行きたいんですよ。

美輪 :意外性ね。

江原 :ずっとお話をうかがっている時に実は私、抜けさせていただいて。

宮藤 :えーっ、いたじゃないですか。

江原 :ずっと見ててね、自分と違うな型にはまってないなって。

お父さん厳しかったっておっしゃるけれど、お父さんの厳しさは型なんですよね。

「こういったときは、お前は返事をするものだ。
こういったときは、なぜお前は言えないんだ。」ってね。

言われ続けてて。

宮藤 :はい。 うん。

江原 :だけど、決して本当に厳しいお父さんじゃないんですよ。

その型に対して、すごく厳しいお父さんで、それがちゃんと理解できてないから、お父さんという存在があるだけで責められている気がするんです。 常に。
言われてなくても。

その切り替えのきっかけのひとつとしては、大学に行かれたときでしょうね。

自分が、これをやりたいと決めたとき、これがひとつの脱却ね。

空気がね、芸術方面に行きにくいところがあるのね。

お父さんは、「そんな学部に行って就職どうだ?」みたなね。

宮藤 :そうですね。
まさに、その通り。

江原 :大学に行った時点で、まず、一回目の脱却。

それを、辞めた、で二回目の脱却。

どんどん、脱いで行ったんですよね。
殻というものを。

宮藤 :そうですね。

なんか、そういう感じでしたね、せいせいしたというか。

その時、大学はどうしようとかならなかったんですね。
なんとかなるんじゃないのかなと、それはその悶々としたところから抜けたからかなって思うんですよね。

江原 :それと、奥さんの言葉がなんで聞いたのかというと、
型がなかったからなんですよ。

「じゃあ辞めたらいい。」って、常に型のない人なんですよ。



宮藤官九郎さんの人生の転機


今週の「オーラの泉」ゲストは、脚本家、“クドカン”こと
宮藤官九郎さんでした。

宮藤さんは、脚本家としてだけでなく、人気劇団・大人計画所属の俳優・演出家としても活躍し、またそのほかに、パンクバンドを結成してCDを出したり、雑誌での連載持つなど、多方面にわたる才能を発揮していらっしゃる方です。




・スピリチュアルにはまったく関心がない宮藤さん

宮藤 :昨日までこの番組に出るのを楽しみにしてたんですよ。

でも、くる途中だめだって思って、すごく帰りたいですね。

国分 :宮藤さんからみてこの番組どうですか?

宮藤 :僕自身ほとんど霊感とかないですし、
また、みてもらってこともないですし、
本当にまっさらな状態ので、よろしくお願いします。



国分 :美輪さんとは初めてですか?

宮藤 :前に、ジャンジャンていう劇場で歌ってらっしゃったのをなんどかみさせていただきました。

美輪 :歌ってました。
どうもありがとうございます。

宮藤 :年下の男の子とつきあっている歌があるじゃないですか、
あれが大好きで、ストーリーが美輪さんが年下の男の子と付き合っていて最後、飛び降りるんですね。

「飛び降りるわよ。」暗転みたいな。
すごくよく覚えています。

美輪 :なにかの取材で会いたい女性は誰かって聞かれたら、
美輪明宏っておっしゃったって聞いたのね。

宮藤 :はい。 いいましたね。
この番組を見始めてからかもしれませんね。

国分 :お話しをしてみたいんですか?

宮藤 :お話しはしてみたいけれど、こわいことは言われたくないみたいな。




□実家は文具店を営み、父親は教師、まじめな家族の中でひたすらTVがすきだったという宮藤さん。

大学に入ると魅力的な仲間たちに囲まれ、劇団大人計画に参加。

演劇に目覚めた宮藤さんは大学を中退。

エンターティメントの世界でさまざまな才能を発揮することになるのです。





・人生の転機

国分 :人生の転機は、大学を中退した時と?

宮藤 :そうです。

大学に、復学する、復学届けと、休学届けと、退学届けをもらってきてずーっとみてたんですよ。

そのときに、いまうちの奥さんなんですけれど、彼女がやめちゃいなよと言ったんですよ。

国分 :奥さんてどんな方なんですか?

宮藤 :もともと知り合ったのは、僕が大人計画にかかわったときに、
僕は、演出助手というのでかかわったときに、
劇中で踊る振り付けをしてたんです。
振付師です。

最近、僕のドラマとか映画とかもやってもらっています。

国分 :大学を辞めるきっかけになったのも奥さんが。

宮藤 :踏ん切りがつかないときに、言ってくれたので退学をしたんですね。

後で聞いたら、うちの奥さんはおんなじ大学をちゃんと卒業してたんですけれどね。

まじかよって思いましたけれどね。

それを報告するのに、電話じゃまずいかなと思って、一応、手紙を書いて「もう僕は、仕送りをしていただかなくても結構です。」みたいな手紙を書いたんですよ。

そのとき、なにも言われなかったんですよね、親に。

結構厳しい親なんでけれど。

家では、僕にはすごく厳しかったんですけれど。

でも、厳しいというのは、節分の日に豆まきをなぜしないとか。

国分 :宮藤さんの性格が曲がっているのでそこをどうにかしろというのではなくて、豆まきをしろと。

宮藤 :豆まきをしないか、大晦日にあつまって一年の10大ニュースを読むっていうぐらいですかね。

「お母さんが、脚立からおちる」とかいうのがトップニュースだったりするんですけれど。

それに参加しないと、ものすごく怒られるんですよね。

美輪 :それはね。
秩序とかしきたりとかいうものを守らなきゃいけないということを教えてらしたのね。

それは、宮藤さんもそうだと思ったから反抗もなさらなかったし、
素直に受け入れたんじゃないんですか?

国分 :最初は、役者をやられてたんですか、それとも脚本家だったんですか?

宮藤 :もともとをいうとTVの構成作家になりたくて、ラジオとかがすきだったんです。
そういう仕事をしてくて出てきたんですけれど。

大学のコースを選ぶときに、脚本っていうコースを選ぶのがあったので、
短いものですが、書いては提出してとやってたんですね。

その中の選抜の人だけが受けられる試験に落ちたんですよ。

なんで落ちたんですかと先生に聞いたら、
「君は、何度言っても僕の言うことを聞かないから」って言われて。
別にいうこと聞くのになっていうので(大学)やめたんです。

国分 :言うこと聞かなかったんですか?

宮藤 :あのね。
読んだ人をビックリさせることしか考えてなかったんだと思うんですよ。

今思うと相当つたないものを書いてたと思うんですけれど。

でも、読んでもらっておもしろい思ってもらうことは好きだった。
だから、ラジオとかに葉書とか書いてたんですよね。

夜中にラジオを聴いていて読まれたら、夜中の3時ぐらい電話して
「母ちゃん読まれたよ。」っていって。

そしたら、「うん...。 うん...。」って。

国分 :夜中の3時ぐらいだから、その感動は無いですよね。

宮藤 :そんなことをやってたら、知り合いの放送作家の方が紹介してくれて、TVの作家として仕事を始めるようになったんです。

美輪 :でも、脚本というのは文学とかそういうものに縁の遠い生活をしている人がいきなり脚本を書けるわけじゃないじゃないですか。
それは、どうやって培っていらしたの。

宮藤 :いやでも、東京に来てからですね。

映画とか見たことがなかったですね。
本は、世界文学全集というのがばーっとあったんですね。
それで、読めといわれたけれど、めったに読まなかったですね。

TVばっかり見てました、TVがすごく好きでしたね。






・長瀬君と裸の付き合い

宮藤さんが初めて監督した映画
『真夜中の弥次さん喜多さん』この撮影で
長瀬智也さんと裸の付き合いをすることに


長瀬 :地方のロケだったんですけれど、おどろかそうと思って洋服を全部脱ぎましてね。

宮藤さんの部屋に先に入りまして、カーテンを閉めた状態で窓枠にへばりついていたんですね。

疲れ果てた宮藤さんが部屋に入ってきて、荷物を置いてすぐに寝たんですよ。

それで、寝た後にバッとカーテンを開けて「お疲れでした。」っていったら宮藤さんが普通に「お疲れ様でした」って僕に向かっていってきたんですね。

以外につまらないリアクションするなと思って。




国分 :これは、長瀬君が体をはって。
どんな状況だってのもあるんですよね。

宮藤 :その日、僕はシリアスな状況だったんですよ。

明日の撮影できるかなという状況だったんですよ。
それで、夜中の1時越してて、疲れててそのままバタンと倒れたんですよ。

そしたら、カーテンががっと開いて、本当に全裸ですね。
マッパで、「お疲れ様でした。」っていうので、
「お疲れ様でした。」っていって。

その後に、そういえば長瀬君にTシャツ渡そうと思ってたのを思い出して、カバンから、「長瀬君Tシャツ。」っていって、それから、しばらくしてすごくビックリしたんですけれど。

「ごめんね長瀬君。」ってすごくあやまりましたね。

美輪 :でも、長瀬君が出てた、落語の(作品)あれ、転換の仕方とかあれやなにかというのは、宮藤さんの中で計算し尽くしちゃっている部分とものすごい感とでやってる部分とものすごく交錯しているような感じがするんですけれどね。

宮藤 :そうですね。
自分は、結構、調子がいいときとか、感も冴えるし、計算も良く出来る。

でも、どんよりとしたときとか、場所によってはまったく集中できなかったりするんで。

あんまり集中して、おんなじ場所で仕事できないんですよね。

喫茶店とか漫画喫茶とか、入れ替わりが激しいところで以外と書いていることが多いですね。

自分の部屋で仕事がはかどったことはないですね。
何ででしょうね。

国分 :それは、知りたいですね。
なにか、理由があるんですかね?

江原 :あります。
言いますか?

国分 :あとにとっておきましょう。

宮藤 :とっとくの。


広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。